TOM's Diary
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2013年09月18日(水) |
相手の立場に立って考えよう |
バイトテロなんて言葉が普通に聞かれる昨今、自由と責任と言う言葉の意味をはき違えている人が多いのではないか。
自由を享受するためには責任が伴う。 なんでも好き勝手にやって良いと言う意味ではない。 責任さえ取れば何をやってもいいと言うものでもない。 そもそも彼らは責任の取り方を判っているのだろうか?
冷蔵庫に入って写真を撮って仲間内で楽しむだけなら、ちょっとした悪ふざけでも済むだろう。もちろん、悪ふざけにもやっていいことと悪いことがあるし、冷蔵庫に入って写真を撮るのはもちろん悪ふざけでもやってはいけないことの部類に入る。
だが、やってはいけないことではあっても、普通は店長なりなんなりに謝罪して、反省文なりなんなり書かされて、冷蔵庫の清掃消毒などをやらされるなどいろいろと面倒なことを乗り越えて、事の重大さに気づき大人になっていくと言うものでもあると思う。
とは言え、本来ならばこういう悪ふざけは子供がやるものだと思う。 子供がこういう悪ふざけをするとすぐに親や近所のおじさんなんかが注意をして、こういうことはやってはいけないことだと学んでいくのが通常だと思う。 にも関わらず、バイトテロのニュースを見ると、必ずしも大人とは言わないがいい歳をした若者たちの犯行が多いようだ。 いったい彼らは何を学んできたのだろうか。
とは言え、たまたま、SNSなどに載せてしまったばかりに仲間内の悪ふざけで済まなくなってしまっただけで、大人だってこの程度の悪ふざけは昔からやっていたのかもしれない。だが、それにしたって、SNSに載せたら大騒動になってしまうことくらい判りそうなものだ。結局お子様なのだろう。
全国ニュースになるような事態になるにせよ、ならないにせよ、自分がこれから取ろうとしている行動が、どういう結果をもたらすのかと言う想像力の欠如、あるいは、自分がこういう行動を取ったら相手は、周囲の人たちは、どういう気持ちになるのだろうかと考える力が欠如しているように思える。
社会は、人間対人間でなりたっている。 相手の気持ちを想像することはこの社会で生きていく上で基本中の基本なのではないかと思う。
とあるブログにこんなことが書いてあった。ブログ主は就職活動中の学生の相談に乗る機会が多い人物らしいのだが、就職面接の質問に対しておかしな回答をしてしまう学生が多いと嘆いていた。「そんな回答をしたら面接官はどんな気持ちになると思う」と問うと、「面接官になったことがないから判らない」と答えるそうだ。 「社会人になったことがないから、社会人の気持ちなんて判らない」とか「その人になったことが無いからどう思うか判らない」とか。
そう言えば心当たりがある。 労組の委員長時代のことである。 「組合員から相談を受けたら、無理難題を吹っかけやがってと思う前に、その組合員の気持ちになって考えてみることが大事だ」と言うと、「組合員の気持ちなんて判らない」と返されたことがある。 そもそも労組の役員といっても組合員であることにかわりない。それにもかかわらず、組合員の気持ちなんて判らないと言う。なぜかと問うと、「他人が何を考えているか判るくらいならこんなところにいない。テレパシーだかなんだかでテレビに出て一儲けしている」と言う。
相手の立場になって考えると言うのは、自分がその相手の立場だったらどう思うだろうかを考えると言う意味であって、相手が今何を考えているかを読み取れとか超能力を使えとか言っているわけではないのだ。
「上司にいじめられている。会社を辞めようと思う。どういう手続きが必要か」と相談されて、素直に辞表の書き方は教えないだろう。「きっと上司にいじめられていることがつらくて会社を辞めようとしているに違いない。だったら上司にいじめられなければ会社を辞めなくても済むのではないか」と考えられないのかと言っているのだ。 そのくらい社会人であれば普通にやっているのではないかと思うようなことだ。
冷蔵庫の中に入るなんてこと、普通の人はやらない。それをやったらきっとみんなびっくりするだろうな。じゃぁ、ちょっとやってみて、みんなをびっくりさせてやれ。 みたいな悪ふざけを思いつく発想力は誉めよう。 だが、そこで、なぜ普通の人はやらないのかと言うことまで考えてもらいたいものだ。
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