こんな夢を見た…
空気を吸って、止めて。おなかに力を入れる。 すると、自分の体がすっと「浮く」。 当たり前のように毎日やっていた。 自分の中では「浮く」ことが普通だった。 けれど、他の人は「浮かない」みたいだった。 だから、「浮く」時はいつも一人。 部屋の照明を落とし、月明かりの中で、いつも「浮いていた」。
ある日、あまりにも月が綺麗だった。 「おいで」と呼ぶように月が輝いていた。 月に近づきたかった。 ワンピースに着替え、誰もいないことを確認して「浮いた」。 窓をそっとあけると、涼しい風か頬をなでる。 そのまま、窓を閉め、遥か上空を目指す。 とても気持ち良かった。 振りかえって家とその周りの林を見ると、鬱蒼と木が生い茂っていたが、それでも綺麗だと感じた。 好きな景色の一つになった。
どのくらい「飛んで」いたのか解らない。 気付くと空の一画に何も無い、暗い、けれど腰掛けられる場所にたどり着き、そこに少年が一人、座っていた。 私は「浮いている」状態でその少年と向き合っていた。 少年はにこっと笑い、やはり「おいで」というような声をかけた。 そして当たり前のように隣りに腰掛け、少年の手に、自分の手を重ねた。 心地よかった。 少年は一言、「飛べることは知られちゃダメだよ」といった。 理由はわからなかった。 「飛べる」ことはとても素晴らしく、開放感にあふれていた。 他の人にも教えたい、とその時は思っていた。 ただ、「飛べる」ことを他人に教えてしまったら、この少年とはもう、会えないのではないかと感じた。 だから、「これ」は、少年との秘密になった。
それから毎日、同じワンピースに着替え、「飛んで」いた。 少年に会いに行った。 少年とはなにも話さず、ただじっとお互いの手を重ねて腰掛け、月を眺めていた。 「綺麗だね」という言葉もかけず、ただ、ずっと2人で月を眺める。 お互いの体温を感じながら。 胸がときめいた。 とても心地よかった。楽しいと感じた。
ある新月の日、「今夜は月明かりが無いから大丈夫」と変な安心感から窓の外を確認しなかった。そして、何の疑いも無くすっと窓を抜けだし、外に出た。 「今日は風がちょっと冷たいな」と思いながら、何気に見下ろしたら――人がいた。 まっすぐにこっちを凝視して、化け物でも見るかのように。 怖かった。 怖くて思わず…ありったけの速さで上空に、少年の待つところに「飛んだ」。 その日、少年に会ったかは、覚えていない。
目覚めると、自宅前はたくさんの人だかりが出来ていた。 普段、日中ですら人通りの少ない自宅周辺に、恐ろしいくらいの人がいた。 皆が皆、「昨日ここで宙に浮いている人を見た」ということを叫んでいた。 ―間違い無く自分のことだった。 そして、窓をあけてその様子をうかがうと「あ、あのこ!」という声と共に多くの目がこちらにやってきた。反射的に窓を閉めた。
母親が部屋に入ってきた。「あんた、飛べるの?」とまるで責めるような口調でヒステリックな声をあげる。怖かった。 聞きたくなくて耳をふさいだ。 すると、飛ぼうと思ってないのに、からだが、足が床からほんの少し、離れた。 「え?」と自分で足元を見るのと、母親の表情が変わるのが同時だった。 母親はなにも言わずに部屋から出ていった。 逃げたいけれど、今ここで「浮いて」しまえば、元も子もない。 夜が来るのを待った。
夜になっても相変わらずカメラや野次馬が消える事が無く、外に出るのに時間がかかった。 いつも入り口に使っている窓は道路に面していてとても出られる状況じゃなかった。 何度か危ない場面をやり過ごして、外に出た。 月は輝き始めていた。
いつもの少年の待つ場所に行ってみた。 いないと思っていたが、少年は変わらずの笑顔を浮かべながらそこにいた。 たがが外れて少年にしがみつき、怖かったと泣いた。 少年は優しく抱きとめてくれ、泣くのをやめるまでずっと背中をなでてくれた。 心の中で、少年と会うのは今日が最後だ、と思っていた。 それも悲しかった。
次の日から、おなかに力を入れても「浮く」ことが難しくなった。
堕ちた、ニンゲン
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