残るとそれはそれでいいが、残りすぎると、センチメンタルになる。
今日は、チャットの知り合いさんと一緒に、名古屋駅のタワーズの、電飾を見に行った。
19時に待ち合わせをして、簡単な食事(お茶)の後、いざ。
現実的な物の見方をすると、「よくもまぁ、こんな電気の無駄遣い」とか思ってしまったが、すごく綺麗だった。
幻想的という表現も、当てはまるかもしれない。
馬鹿みたいに、写真を撮りまくっていた俺。
寒さを忘れることは、ちょっと出来なかったが、それでも十分に堪能できた。
そして、電飾が消える、23時。
…突然、それまでエンドレスでかかっていた音楽も、それまで「明るすぎる」電飾も、消えた。
フェードアウトでもなく、突然。
まるで、携帯電話の通話が突然切れたように。
ブツッ
そんな形容だった。
周りの人も、これには驚いたらしく、ざわめきと笑いが出た。
俺も、ビックリした。
そして、知り合いさんと少し笑った。
…下手に余韻を残してくれると、かなり悲しくなる。
一人が淋しくなる。 誰かに会いたくなる。 感傷的になる。
しかし、突然切れた電飾は、何となく「また明日も、見に来てくれないか?」とでもいいたげだった。
「何時かまた」の別れではなく、「じゃ、また明日!」と言う別れに見えた。
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