2002年04月28日(日) |
グッドラック 戦闘妖精・雪風 |
一気に読んだ『雪風』シリーズ第2巻。というか、この発刊により、シリーズとなったともいえる。一回では読みこめるわけもなく、この一週間は何度も目を通していた。 SFマガジン上で、新シリーズとして連載されたのは1992-9年で、かなりの時間がかけられている。そして、99年に一冊の本としてまとめられたのは『戦闘妖精・雪風』より15年の歳月が流れている。 それだけの時があれば、語るものも語られ方も変わってくるものだろう。連続して、他の神林作品に触れずに、この『シリーズ』だけを読むと、特にそう感じる。確かに『雪風』の終わり方は続きを感じさせる余韻あるものだが、果たして、当時から著者は『シリーズ』として捉えていたのだろうか? 輝は多分に、漠然ながらにも構想をもっていたのではないか、と受け止めた。著者自身が掴みきれず、もしくは表現に苦心していたのではないか? と──あくまでも、二作を読んだ限りでの輝個人の推測だが。 時をおき、他の著作もあった上での変化とは思うが、印象は大分、違う。短編連作『雪風』は一編一編が独立した物語でありながら、底流に一本の大きな流れがあり、次第に現れてくる様が圧倒的でもある。それに気づき始めるキャラたちが圧迫されていくのだ。続く『グッドラック』は『雪風』を受けた時点で、その大きな流れがすでに明瞭に浮き上がってきている。段階的な章構成はあれど、完全にその流れを解きほぐすための一作の長編といえるだろう。 そして、何より、表現がまるで異なって見える。会話にせよ、説明文(地の分)にせよ、短く積み上げられ、淡々と進められていた『雪風』とは打って変わり、『グッドラック』はとにかく、会話──それも長会話が多い。それはキャラたちが内面を吐露し、ぶつけ合うようになったため、と思えた。
『それがどうした、俺には関係ない』
他人には無関心で、同じ戦隊員とはいえ、決してつるむわけでもなく、だが、口々にそう言う彼ら『ブーメラン戦士』の紛れもない一員である深井零。その視点も愛機『雪風』への意識も、ブッカー少佐を始めとした“他人”との関わり方も少しずつ、変質していた。 これは或いは著者・神林長平氏自身の変化かもしれない。 人間とは変わるもの、だが、機械はどうか──知性を有するコンピュータたちには感情はないはず。それでも、その何かが変質する可能性も否定できないのではないか。となれば、互いの関わりあいも又、無限に変化する可能性がある・・・。 次第に明かされつつある異星体『ジャム』との戦いにも、人間と、コンピュータと、さらには所属する組織体に分かれただけの様々な“形態”がある。 その戦いにより、また何かがどう変わるのか──答えはない。
『グッドラック 戦闘妖精・雪風』も前作同様、余韻ある・・・ありすぎる終幕に結実している。『完』と謳ってもおらず、続きそうだが、これはこれでも、という気にもさせる。読者の声も複雑ではあるらしい。望む声と望まぬ声と──『グッドラック』そのものの評価も賛否に分かれている。 輝は・・・多分、それはそれで受け入れられるようになるだろう。つまるところ、作品は著者の思いによるのだから。
にしても、18年前とはいわない(さすがにまだ、ハヤカワは読んでなかった)までも、もっと前に『雪風』読んでいたら、どう受け止めたことだろう。・・・これも問うても意味はない、か? ただ、この作品に限ってではないが、逆に何年かして、ある『作品』を読み返すと、以前とは違った見方ができることはよくある。自分自身も又、『変わっている』証だろうか。
しっかし、単行本の2巻が出るのに15年──初期からのファンの方々はさぞや、待ちわびたことだろう。思うに・・・一向に出るかどうかもはっきりしない『七都市物語』シリーズ!!!を待っているようなもんだろうなぁ。
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