航宙日誌
『革命戦記』と輝&Ark☆の珍道中?

2002年03月14日(木) 歴戦の監督

 富野監督19年ぶりのエッセイ『∀の癒し』文庫版が発刊された。(原書は『∀ガンダム』終了後刊) 19年前のエッセイは『だから、僕は・・・』かな?

 ともかく、“ロボット・アニメ”に“革新”を起こした『ガンダムの富野』も、そのものの“呪縛”からは逃れられずにいたらしい。それ以上だったかもしれないのが周囲であり、制作会社であり、多くのクリエーターたちだった・・・と聞くと、さすがにやるせない気もする。
 『ガンダム』といえば、従来の“正義のロボット”が“絶対的な悪”と戦う物語ではなく、ありがちな人間世界を“宇宙世紀”に映したドラマとして秀逸と賞されたと記憶する。
 だが、それでもなお、やはり一般受けするのは派手なメカの戦闘シーンで、求められているのだというのには驚いた。未だにオモチャ(=プラモ)を売るための戦略にそっているのだとは、さもありなん、か。
 「最初のファンになってくれたのは中学生の女の子」「最初はガンプラなんてなかった」などの監督の感慨が妙に残る。
 プラモ・ファンの声がメカ設定をこき下ろす──如実だったのは“ヒゲ・ガンダム”と揶揄された“ターンA”か。考えてみれば、メカの姿に、そこまでの意味はあるのか? もちろん、姿に力が宿る、ような考えもあるとしても、“モビル・スーツ”そのものが絵空事の世界に、たまさかリアルっぽく映りこんでいるだけなのだ。それをリアルと匂わせているのが、監督たちの創り出す“物語の力”のはずだと、今さらに気づく。
 そして、少なくとも、輝は監督に限らず、他の誰かの創り上げた世界を楽しませてもらっている。楽しめなかったとしても、それは単に自分には合わなかっただけで、他に気に入る人もいるだろう。
 ・・・それを酷く騒ぐことはないのかもしれない。


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輝−Hikaru− [MAIL] [HOMEPAGE]

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