2013年10月29日(火) |
第一章 西暦 2200年 東京春 (1) |
第一章 西暦 2200年 東京秋 (1)
連載小説 :小鳥物語(1)
純一はパソコンに目をやった。 「トキ」
画面の中央に文字が浮かび上がった。 文字は七色に色を変えて、輝きながら小さくなりつつ左上の方に移動し、同時に右側にカラー映像の古びた窓が現れ一瞬静止した。 中央から白い光を両側へ放ちながらその扉が開き、眩しい日差しが差し込んで来た。 光の中に目を凝らすと、窓外に見える遠い空の高みから、美しい鳥が三羽飛来して、やがて一面の雪景色の丘に降り立った。 すらりとした見事な翼を、スローモーションの様なゆったりとした動きでたたみ、白銀の雪の上に居住まいを正して立ち、こちらを見た。 左側に文章が現れた。
学名「ニッポニアニッポン」 二十一世紀初頭、乱獲、環境の急変などの為に激減し絶滅した。 余りに遅過ぎた保護は成果をあげる事なく、個体数は数十羽にまで減り、最後の手段とされた人工飼育による繁殖にも失敗した。
この映像は自然界に生息しているトキの姿をとらえた唯一のカラー映像だが、ネガフィルムが古く、残念ながら本来の色彩を見る事はできない。 羽ばたく時に見える風切羽の淡い紅色を「とき色」と言う。 「とき色」は古来からの色名として伝えられているが、トキを目にする事のできない現在、本来の色がどのような色彩であったのか全く定かではない。
純一はそこまで目を通すと窓の外へ視線を移し、何時もの日没の風景を眺めた。今日は靄が晴れて遠い西の山々がうっすらと見える気がする。
「雲だろうか山だろうか、何か見えるな」
頭上の空に目をやると、雲に美しい夕焼けが訪れていた。
「とき色ってあんな色なのかなあ」
ふと何の確信もないまま呟いた。こんなに鮮やかに空が染まるのを見るのは久しぶりだった。西向きの部屋の窓からほんのり淡いピンク色の光が差し込んで、部屋の隅々まで染めていた。
大都市東京の中心部。高台に建つ巨大高層マンション。 二十五階の窓からの眺めは、何時もスモッグや靄でかすみ良く見えないが、大小のビルがまるで光を遮断して象牙色に栽培したアスパラガスか何かの様に、にょきにょきと林立しているのが見える。 建物の間を縦横に走る道路は網の目の様に入り組み、ごちゃごちゃしていて見通せない。 夕焼けに染まってピンク色のそれらのビル群はなぜか非現実的に見える。 ほんの十数分の光のアトラクションの後、ごく見なれたいつもの風景がまた夕暮れの中で輝きだした。
大都会の夜景は空をうっすらと明るく照らし、本当の夜の闇の存在を許そうとはしない。 ほんの一つ二つの星の姿すら許そうとはしないのだ。 純一は時々月を探してみる。夜の空に黄ばんだ月がのんびりと浮かんでいるのを見ると何故かほっとする。 そんな時は部屋の照明を消して、厚い窓ガラスにぴったり顔を寄せて月の浮かぶ空をじっと見る。 厚く冷たい窓ガラスがそんな彼の邪魔をする。照明を消した部屋に街の明かりが差し込み、白い壁に紫の細い影が幾重にも重なり合う。 この街には本当の夜が無い。
二十五階の窓は開かない。厚く大きい一枚ガラスを通して見る外の世界に音はない。 大都会の騒音は一切遮断されている。風の音も雨の音もしない。 木の葉のそよぎや小鳥の囀る声など、この世界にある事すら純一は知らない。 月光という言葉を知っていても、その光さえ本当には見たことが無い彼には、その光を正しく認識し理解する事すらできない。 一際月が白く鮮やかに見える夜、月光がクリアーだと思うのだが、むろん月光は白く輝いている月のさまではない。
晧晧と照る満月の夜。見渡す限り冷たく青く澄んだ月の光に満ち溢れ、木々も家並みも道も隈なく明るく照らし出される。
そんな月夜の光景を見たことがない純一には想像もつかない。 本当の闇の無い大都会の夜空に昇る月が、どんなに明るく巷を照らしても、その澄んだ月光の存在に気付く者はないのだ。
二十世紀から二十一世紀にかけて絶滅し、既にこの自然界から姿を消してしまった動物達。
その人工飼育の映像は数多くあるが、野生動物として自然界に生息していた姿をとらえた映像は本当に極々限られていた。
その生態を完璧にとらえているかの様に映し出される貴重な映像は、所詮、動物達のほんのつかの間の残像を継ぎはぎしてあるだけなのだ。
この世に存在していない動物はもはや、その面影を僅かな古びたネガフィルムの中に留めるに過ぎなかった。
「純一」 部屋のインターホンから母の声が流れた。
「お父さんからよ。今そっちに回すわね」
パソコンの画面に黒い不精髭の日に焼けた顔が現れた。
「やあ純一、一週間ぶりだね。ここはエジプトだ。砂嵐が何日も続いてね」
「五年越しでやっと何とか形になっていた大切な植物プラントの殆どが壊滅状態になってしまったよ」
「本当に残念でならないよ。もう何日もろくに寝ていないよ。そちらはどうかね」
「何も変わらないよ。そっちの状況に比べたらこちらは天国の様に穏やかな毎日だよ、お父さん」
「それより早く寝た方が良いんじゃない。もう何とかなったんでしょう」
「ああ、まあ一区切り付いた事は確かだ。寝る前に皆の顔を見て安心して寝たくてね。それでちょっと電話したんだよ」
「僕はもうすっかり元気になったよ。前みたいに落ち込んだりしないで居られる」
純一は何をどう表現したら良いのか解からないので適当にそう言った。
疲れ切って家族との会話を唯一の安らぎにしようとしている父親を心配させたくはなかった。
聞いて欲しい事はいっぱい胸の中に詰まっていたが何も言い出せなかった。
「純一こちらでは日本の事を何と呼んでいるか知っているかい」
「何て言っているの」
「緑の宝石と呼んでいる。面白いだろう」
「砂の海に沈みそうな国から純一の国は宝石の様に見えるらしい」
「緑の宝石って、何で緑なのさ」
「何故かと言うと日本列島を写真に撮ると、緑色の島々が青い海にぽっかり浮いて写るからさ。ここは緑などひとかけらも写らない。灰色一色だ」
「今度その写真見せてよ。僕には全くぴんと来ないんだ。父さん窓の外の景色知っているでしょう。緑など殆ど見えないんだよ」
「そうだな。今度純一にその美しい日本列島の写真を見せよう。驚くぞきっと」
「きっと見せてね。忘れちゃ嫌だよ」
純一はちょっと考えてから更に続けた。
「ねえお父さん、僕はもっと本当の事を知りたいよ。何でもちゃんと本物を見たい。色々な事を体験したい」
「もう一人で色々な所に行ってみて良いでしょう。僕はもう十二歳なんだからね。危ない事なんか何も無いよ」
「お母さんに言うと危ないとか心配だとかばかり言ってさ。お父さんからもお母さんに言って欲しいんだ。お願い。僕、もっと色々な事を知りたいんだ」
純一の話が意外な方へ進展して、急に困った顔を見せながら父が言った。
「純一気持ちは解かるけどお母さんに心配をかけないように。機会を見て純一の行きたい所へ行けるように考えるからね」
「僕は無茶な事なんか絶対しないよ。だからお父さんは安心して寝てください。おやすみなさい」
純一は父を安心させる為にそう言ったが本当は不満だった。
父も母も仕事が忙しく純一の望みはそう簡単に叶えられそうになかった。
「純一、それではおやすみ。くらくらして来たよ。私はもう寝るよ」
父はこめかみに手を当て目を閉じ再び目を開けるとやつれた顔に笑顔を作って軽く手を振った。
画面がスーとブルーになって送信が切れた。
純一は再びパソコンのキーを叩きながら呟いた。
「緑の宝石か。どんな物があるのかな」
そしてパソコンに「緑色の宝石」と打ち込んで画面に目を移した。
純一のパソコンはその問いに答えて画面に幾つかの宝石の名前を出した。
その文字の上を指でタッチしたりクリックしたりするのは時代遅れの方法だ。
純一のパソコンは指示を口で言うだけで反応する。
「それじゃあ一番凄いのから順に見せてよ」
パソコンが純一の言葉を聞いて、画面にエメラルドについてのページを開いた。
( 続く )
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