京のいけず日記
もくじ|前の日|次の日
2005年05月07日(土) |
100円ババァの思い出 |
今、流れているマクドのコマーシャル。 足元の100円玉を見つめる大道芸人。 逃げていかないかと気が気じゃない様子。
そのCM で思い出した。
今から20年ばかし前。京都の目抜き通りを歩いていたときの事だ。
← さて。100円玉を見つけた歳三さんは、どうするでしょうか? …結果は次の日記で??
お婆さんというには若くて、オバサンというには老けている。 そんな女の人に声を掛けられた。
てっきり道でも聞かれるのかと思ったら、いきなり手を出してきて。
「100円ちょうだい」
「は?」
思わず聞き返したが、やはり、
「お嬢さん。100円ちょうだい」
何で、私が見も知らぬ貴女に、大事な100円を…。 100円といえども稼ぐのは大変なんだぞ。
結果。冷ややかな目で、無視を決め込んだ。 あるいは何か言ったかもしれない。
無性に腹が立った。100円玉一枚のことで。
もし、そのお婆さんが、いかにも憐れみを乞うような、 あるいは何やら切羽詰まった困った状況であれば良かったのか。
「あなたは私に100円を下さっても当然なのよ」 お婆さんのそんな厚かましい物の言い方に腹が立ったのか。
ならば涙して 「どうぞ。恵んでください」なら良かったのか。
若い頃は偽善という言葉に嫌悪を覚えた。 誠意よりも、人を見下す、優位に立とうとする、自分の心を映しているようで、 たまらなく嫌だった。
そんな自分への腹立ちを、されど100円…という怒りにすり替えてしまったんだ。
100円の価値はけして安くない(時給で100円違ったらすごいぞ)
だけど。さ。
財布に入れ忘れ、ポケットにつっ込んだままの100円玉。 家具の隙間に落ちていて、危うく掃除機で吸うところだった100円玉。
その100円を「必要だから私に下さい」という人に渡してあげることは、 そんなに腹が立つようなことだろうか。
あほか。と思われるかもしれないけれど、 「どうぞ」と笑って渡してあげるほど、自分に無欲になってみたい。
そのお婆さんが、人の良心に付け込む悪意の常習犯であったとしても。 お婆さんの100円も、私の100円も、同じ価値があったとしても。
今、目の前にあの100円婆ぁが現れたら、「おきばりやす」ぐらい言えるかな。 それとも気づかぬ振りをして通り過ぎるだろうか。
え、若い人…? それはべっこッ。 あほ言うてんと、食い扶持ぐらい稼げ、です。
…職練の子達。無事に仕事を見つけたかなぁ。 派遣の仕事、時給1500円が安いとのたまっていた。 どれほどのスキルがあるわけでもなく、みんなこんな感じなのか?? 仕事がない。それでも食べていける不思議な世の中…変だと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここんとこ落書き遊びが出来ないので、お気に入りだけ少し集めてみました。 ヘタクソですが、良かったら下の「らくがきぎゃらりー」から見てやってください。
日記ではお馴染みの落書きです。サイズが大きいので余計にボロボロ…。。
Sako
|