京のいけず日記
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2005年03月23日(水) |
まる子ちゃん、卒業する。 |
晴れの卒業式に備えて美容院へ久々に行ってきました。 ショートだし、剛毛だし、あんまり変わりばえしません。
茶髪ロンゲの歳三さん「どうです、ダンナ?」 今日はまる子ちゃんの卒業式。あいにくの雨で少し肌寒い。
式のあとの茶話会は近くのコミニュティーホールでお母さん達と談話する。お母さんはおろか、子ども達の顔もほとんど知らない。
仕事で外に出ているから、ふだん遊びに来る友達を迎えたりすることもなく、毎月の授業参観、懇談会は、ほぼ全滅状態だった。
それでなくても、こういう場所、人の集まるところは苦手だ。 早く家に帰りたい…。などと、子どものように思ってしまうのだ。
「あ。まる子ちゃんのお母さんですね。いつも仲良くして頂いて」 「は?…い、いえ、こちらこそ、いつもほったらかしで、すみません」
ぼーっと立っていると、見知らぬお母さん達から声がかかる。
えーっと…。 日頃、聞いている、仲の良いお友達の名前を何人か思い浮かべる。 結局、思いあたらない。 そのうち、次々と話し相手が交代する。 こちらでは分かっていなくても、相手はよく知っているようだ。
苦笑い。
情けない親に対して、まる子は子どもの世界でちゃんとやっているらしい。 えらいぞ、まる子。卒業おめでとう!
親は見守ってやるだけでいいのかもしれない。
口を出さないで、信じて、ただ見守る…。 コレが、結構、難しい。
何故って、親には一歩先の石ころが見えるもの。
私が子どもの頃、理屈だけは一丁前の私は、よく母を困らせた。 そんな事はなってみないと分からない。やってみないと分からない。 痛い目に合わなきゃ、分かるもんか。
今でも、そう思う。 出来るか出来ないか、やってみないと実際分からない。 あるのか、ないのか、行って、この目で見ないと分からない。 青い。育ってない。天邪鬼のまんま。
でも。この頃、よく感じる。 明らかに立ちふさがる困難や、矛盾や、無駄や、賭けてみる以上のリスク、マイナス要因となるべきものが見えてしまう。
一歩前の石ころに躓く姿、こけて泣いて痛がる姿が映ってしまう。 そこは危ないよ。気をつけなさい。と、声を掛ける。 出来るものなら先回りさえして、障害を排除してしまいたい。
母と大喧嘩をした。高校生の頃か。 「おまえも、その年になったら分かる」と、母はいつものように言った。
「それでは意味がない」今に生きたい私はそっぽを向いた。
「おまえの好きなようにしなさい」淋しそうに母は言った。 立ち往生して、惨めに泣いてる私の姿が見えていたんだろうか…。
母というよりは、祖母と言ってもおかしくなかった存在の母はもういない。 我が家も親の出る幕はあとわずかだ。
ダンナや、私が元気なうちに早く大きくなぁれ。
と。やれやれ…。 中学校の卒業式・小学校の卒業式・高校の説明会、仕事の修了式…。 やっと終わった。
金曜日から3泊4日で北海道行きだい♪
で。帰ってきたら、今度は高校の制服をもらいに行ったり、入学式が2回。 ふぅー。
それが終わったら、5月の講習が入るまで、日中はやっと一人っきりに…。 思いっきりネクラに家に籠ろう。うん。
Sako
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