井口健二のOn the Production
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2006年01月30日(月) ダンサーの純情、コルシカン・ファイル、ワル、カースド、ミュンヘン、モルタデロとフィレモン、マンダレイ

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『ダンサーの純情』(韓国映画)
『マイ・リトル・ブライド』のムン・グニョンと、韓国の若
手ミュージカルスターとして人気の高いパク・コニョン共演
によるダンスコンテストを競う若者たちを描いた作品。
パク扮するヨンセはプロのダンサーであり、優秀なトレーナ
ーでもあったが、以前のコンテストの直前に自らが育て上げ
たパートナーをダンス協会々長の息子に奪われ、さらに脚に
怪我を負わされてダンスの道を諦めかけていた。
ところが先輩から、中国北部延辺自治州在住の朝鮮族でトッ
プダンサーの女を偽装結婚して呼び寄せ、新たなパートナー
としてコンテストに再挑戦することを勧められる。そして渋
々女を迎えに行ったヨンセは、まだ幼さの残る少女(ムン)
に巡り会うが…
社交ダンスコンテストへの挑戦ということでは、『Shall We
ダンス』を連想させるが、この作品では韓国特有の社会情勢
や、一方でプロダンサー同士の熾烈な闘いなども描かれて、
かなり趣の違う作品になっている。
社会情勢の点では、偽装結婚に対する取り締まり等はかなり
コミカルに描かれているが、国としてのシビアな対応や、ま
た延辺自治州の存在などは、日本人では考えも及ばないとこ
ろだろう。
また字幕では判りにくいが、少女が何度も北の訛りを止めろ
と言われるのは、日本映画での地方出身者を馬鹿にするよう
な訛りの描き方とはかなり違うニュアンスが感じられる。
この種の社会情勢の違いは、韓国映画では常にどこかで感じ
られるものだが、隣国でありながらお互いを深く知ることの
できない日韓の間柄には、歯がゆさも感じるところだ。
ということはさて置いて、映画そのものは実はダンス初心者
だった少女をダンスコンテストのパートナーに仕上げるまで
のいろいろな経緯が描かれる。そこには、本当の初歩からの
鍛練やプロ特有の大技なども織り込まれて、大技には多少や
りすぎの感じもあったが、全体はテンポも良く判りやすく描
かれている。
もっともこの辺は、『Shall We…』とも被るところではある
が、そこは韓国の妹と呼ばれるムンの可憐さというか、健気
さが前面に押し出されて、ファンには堪らない魅力というと
ころだろう。しかも、ダンサーのパクらがそれをしっかりと
支えるから、ダンス自体もかなりの見所になっている。
因にムンのダンスは、全くの初心者からの猛特訓の成果だそ
うだ。一方のパクは、本来はミュージカルダンサーだが、そ
の癖がスポーツダンス(社交ダンス)の邪魔になったという
辺りは、バレリーナの草刈民代が苦労したのと通じるところ
もありそうだ。
この作品で韓国にダンスブームが起きたかどうかは知らない
が、とりあえずは、『マイ・リトル…』でムンを気に入った
人には絶対お勧めと言える作品だ。

『コルシカン・ファイル』“L'Enquête corse”
『おかしなおかしな訪問者』などのジャン・レノとクリスチ
ャン・クラヴィエ共演によるコルシカ島を舞台にしたアクシ
ョン・コメディ。
クラヴィエ扮するパリの探偵ジャック・パーマーは、コルシ
カ島在住の遺産相続人のアンジュ・レオーニ(レノ)を探す
依頼を受け、コルシカ島に降り立つ。そして街でレオーニの
所在を訊ねるが、人々は口を噤むばかり。それもその筈、レ
オーニは島の民族主義者のリーダーで、警察が血眼になって
所在を追っていたのだ。
そうとは知らずパーマーは、シャイでよそ者を嫌う島民たち
の間で聞き込みを続け、徐々に信頼を得て、ついにレオーニ
の元に辿り着くが…これに、レオーニら民族主義者の活動も
絡めて描かれる。
コルシカ島は、ナポレオンの生地として知られるが、元々フ
ランスに占領されたという意識が強く民族運動も盛んで、公
用語はフランス語だが独自のコルシカ語の教育や放送も行わ
れているということだ。
というコルシカ島で全編撮影された作品で、レノが民族主義
者を演じ、しかも都会から来た主人公が右往左往するという
内容は、島民にはどうだったのか思うところだが、さすがに
レノとクラヴィエのコンビというのは強力だったようで、エ
ンディングに流れる島民へのインタヴューでもすんなりと受
け入れられていたようだ。
一方、映画には、主人公が雑種かと疑うコルシカ犬の純血種
(?)が登場したり、これはかなり迫力のある民俗芸能の男
声コーラスがフィーチャーされるなど、異国情緒は一杯で、
部外者の観客にはそれだけで楽しめる作品でもある。
ただし、『ル・ブレ』のアラン・ベルベリアンの演出は、前
作と同じく今回も、溜めと言うか情感を感じさせるところが
ほとんど無く、かなり荒っぽい印象を受ける。おかげで92分
という短い作品になってはいるが、何か物足りなさを感じて
しまうものだ。
もっとも、この作品はフランスで大ヒットしたそうだから、
それなりに受け入れられてはいるのだろう。これには強力な
主演コンビのおかげもあると思うが、詳しい動員の状況は判
らない。でも、僕はもう少し何かが欲しい気がしたのだが…

『ワル』
真樹日佐夫原作、影丸穣也作画の劇画を、真樹の製作脚本出
演、三池崇史監督、哀川翔の主演で映画化した作品。
剣道家を父に持つ氷室(哀川)は、広域指定暴力団との闘い
で犯した罪を咎められ、その服役中の刑務所で更級(真樹)
と出会う。そして出所後は、更級が主宰する世直し組織「地
平同」に参加。極東マフィアの資金源となる暴力組織を叩い
ては隠し金を吐き出させていた。
そんな氷室と更級に手を焼いた極東マフィア上層部は、2人
に対する絶対暗殺命令を発し、ついに更級が殺られる。そし
て氷室は弔い合戦を開始、湖上での決闘の末に更級殺しの犯
人を倒すが、氷室も一緒に湖底に沈んでしまう。
そして時が流れたある日。来日中の合衆国大統領夫人が誘拐
され、イラク派遣中の海自艦隊を撤収させる要求が首相官邸
に届けられる。ところが極秘でその対策が練られる中、一人
の男が夫人の奪還に成功してしまう。そして…
これに、最後は「ジャパン・アルカイダ」なる組織まで登場
して、氷室と極東マフィアとの壮絶な闘いが描かれる。まあ
元々劇画が原作ということで、かなり荒唐無稽にアクション
が繰り広げられる作品だが、悪意無く見ていれば結構楽しめ
るものだ。
それにアメリカ追従の現日本政府を批判する下りなどは、国
会議事堂の上に仁王立ちしたゴジラと同じで思想の左右に関
係なく溜飲が下がるものだ。そんなところも含めて、痛快と
言うには多少トーンが暗いが、それなりに見応えはあった。
それに剣道を主体にしたアクションも、哀川翔以下、かなり
頑張っている感じのものだ。三池監督作品は、僕にとっては
当たり外れが大きいように感じるが、今回は当たりだったと
言える。
またヴィデオ撮影の画像も、良好とは言い難いが劣悪と言う
ほどではなく。まあこんなものかなという程度だが、この辺
はプロジェクターの性能によるところも大きいようだ。

『カースド』“Cursed”
『エルム街の悪夢』『スクリーム』のウェス・クレイヴン監
督と、『スクリーム』の脚本家ケヴィン・ウィリアムスンが
再び組んだ作品。主演はクリスティーナ・リッチ、特殊メイ
クをリック・ベイカーが担当している。
テレビ局に勤めるエリー(リッチ)は、ある夜、内気な弟と
犬を載せて車で帰宅中、マルホランド・ドライヴで大型の獣
がフロントグラスにぶつかり、その弾みで対向車と接触。対
向車は崖下に落ちてしまう。
幸い対向車を運転していた女性は運転席に挟まれているだけ
で無事だったが、その直後、女性を救出しようとした彼らに
何者かが襲いかかる。そしてその何者かの攻撃で負傷した主
人公と弟と犬は、その血によって呪いを掛けられてしまう。
そして呪いの掛けられた姉弟と犬は、満月の晩に自らの意志
とは無関係に変身してしまう恐怖におびえながらも、その謎
を解き、呪いを解こうと試みる。
主人公自身が呪いに掛かって、その呪いの効果を利用しなが
ら呪いを解こうとする展開は、ちょっと新機軸かな。一方、
銀器の使い方など設定は筋が通っているし、展開にも問題は
なさそうで、この辺はさすがベテランコンビの作品という感
じだ。
また、物語の背景になるのがロサンゼルスのテレビ業界とい
うことで、テレビの人気者の登場や、ハリウッド大通りの蝋
人形館ホラールームが舞台になるなど、楽屋落ちからクレイ
ヴン流のショッカーまで、いろいろとヴァラエティに富んだ
お楽しみも満載となっている。
特に、呪いが掛かると女性はセクシーに男性は敏捷になると
いう設定が設けられていて、最初は多少ダサい雰囲気の主人
公と弟が見る見る内に輝いてくる辺りは、あのリッチが…と
いう感じもあって見事に演出されている。
それにしてもリッチは、『モンスター』の好演でシャーリズ
・セロンの主演女優賞受賞をサポートしたかと思えば、ウデ
ィ・アレン作品に主演したり、それでいてこういうホラー作
品にもしっかり出てくれるのはうれしい限りだ。
『アダムス・ファミリー』『キャスパー』も懐かしいホラー
・プリンセスから、いよいよホラー・クイーンを襲名かな…

『ミュンヘン』“Munich”
1972年9月に発生したミュンヘンオリンピック選手村襲撃事
件に対して、イスラエル軍の特殊部隊モサドが行った復讐暗
殺事件の全貌を描いた作品。
と言っても、物語は史実に基づくとされてはいるが、モサド
の実体が現実に明らかにされたことはなく、実行犯の特定な
どもされてはいない。従って、映画に描かれている人物像や
人間関係などはすべてフィクションによるものだ。
ただし、現実にイスラエル政府が下したという<神の怒り作
戦>では、少なくとも13人が暗殺されたと言われている。と
言う実話に基づく作品を、ユダヤ人であることが公表されて
いるスティーヴン・スピルバーグ監督が映画化した。
この時点で僕は、この映画を見ることを大いにためらったも
のだ。がしかし、今の時点で脳天気に復讐劇が描けるはずも
なく、ではどんな作品になったのかというところが、この映
画の試写会に向かう際の最大の興味だった。
その作品は、上映時間2時間44分。最近は3時間を超える作
品も少なくないから、上映時間自体はこのような大作として
は普通だと思うが、見終えての疲労感をこれほどに感じた作
品は、他にないものだ。
しかもそれが、映画の不出来などで疲労するのではなく、描
かれた内容の重みによるものであるから、これはこの作品を
見ようとした者の宿命としか言いようの無いものだ。実際に
映画は、最初から最後まで肩にずっしりと錘を置かれたよう
な作品だった。
しかし今の時代に、我々はこの映画に描かれた現実から目を
逸らせてはいけないものだ。
映画の物語は、選手村襲撃によって開幕する。その様子は当
時のニュース映像をフェイクした映像なども交えて克明に再
現されて行く。そして悲劇の結末は、ニュース映像によって
紹介される。
この悲劇に対してイスラエル政府は、メイア首相の決断の下
に復讐作戦を開始する。このシーンでは、首相に扮した女優
が何の躊躇いも無く命令を下すことで、この復讐作戦がイス
ラエル政府の犯行であったことが明示される。
つまりこの映画では、かなり早い時点でこの復讐劇の主体が
イスラエル政府の命令であったことを明らかにして、罪がい
ずれにもあること、特に以下に描かれる犯罪はイスラエル政
府の責任であることを明白にしたものだ。
そしてこの視点が明白にされたことで、この映画が描くべき
こと、つまりテロ行為に対して報復で応えることの空しさ、
愚かさが明瞭に描かれて行くことになる。
従って主人公たちは、最初こそ大儀に基づく成功を喜ぶが、
やがて必要もない殺人にも手を染め自滅して行ってしまう。
そしてそんな愚かの行為の末路は、映画の結末で見事に描き
切られていたように思えた。
その他、選手村襲撃事件の再現では、いまだに謎とされてい
る部分には、上手い仕掛けが施されるなど、全体的には各方
面からの文句が付け難いように仕組まれている。この辺りは
さすがにハリウッド映画の知恵という感じもした。
政治的な対立を背景にした作品だが、今のところ正式の抗議
はイスラエル側からだけというのは、全体的に上手く納得で
きるように作られているということなのだろう。
重いし、疲れる映画だが、見終えて間違いなく何かが残る作
品だ。

『モルタデロとフィレモン』“Mortadelo y Filemon”
スペインでは知らない人はいないという国民的コミックスの
実写映画化。2003年の本国公開時には、スペイン映画史上最
高の興行成績を達成。スペインのアカデミー賞と言われるゴ
ヤ賞でもVFX部門を始め5部門で受賞を果たしている。
スペインの諜報機関TIAが開発した秘密兵器DDTが盗ま
れ、某独裁国に売り渡されてしまう。その秘密兵器とは、人
のやる気を無くさせる電波を発生し、その兵器が作動すると
半径500m以内の人々のやる気が一定期間失せてしまうという
もの。
この事態にTIAでは、最高の秘密捜査官フレディを呼び寄
せ、DDT奪還を命じるのだが、とある事情から落ちこぼれ
コンビのモルタデロとフィレモンも捜索に乗り出すことにな
る。こうして、フレディに対抗意識を燃やす2人の飛んでも
ない活躍が始まるが…
靴底の電話機なんていう懐かしいものから『インディ・ジョ
ーンズ』に至るまで、とにかく手当り次第のパロディやギャ
グが満載の作品。
と言っても、僕自身の感覚では、スペインに限らず、ヨーロ
ッパ製のパロディ映画というのは、どうも波長が合わないと
言うか、爆笑にならないことが多いもので、この作品も残念
ながらその域を出てはいない。
しかし本作は、それに加えてCGIから屋台崩しまでのVF
Xがかなり頑張っていて、それを見ているうちに何となく填
ってきてしまった。正直に言って、ギャグは泥臭いものや時
代後れに感じるものも多いが、それでも良いやという感じに
させられる。
人気コミックスの映画化と言うことだが、例えば『サザエさ
ん』の実写映画を日本人以外が楽しめるかと言うと決してそ
うでない訳で、その辺がこの手の映画の難しいところだ。で
もまあ、この作品ではVFXは頑張っているし、その意味で
は見所が無い訳ではない。
そんな気持ちで見れば、それなりに後半は笑えるようにもな
ってきた。それに物語自体は意外としっかり作られていて、
パロディ映画と言うと、とかくギャグ優先で物語がいい加減
なことが多いが、本作は結構理に叶った展開になっているの
は良い感じだった。
なお、字幕監修をラーメンズ・小林賢太郎が行っているとい
うことだが、固有名詞などにギャグを施している他は、字幕
自体に変な感じは持たなかった。それと、エンディングの歌
に付けられた語感を日本語に置き換えただけの歌詞にはちょ
っと唸らされた。

『マンダレイ』“Manderlay”
2003年に公開された『ドッグヴィル』に続く、ラース・フォ
ン・トリアー監督によるアメリカ3部作の第2話。
時は1933年、春まだ浅い頃。前作で描かれた山間の町ドッグ
ヴィルを離れたグレースと、彼女の父親率いるギャング団の
一行はディープサウスに現れる。そして、ふと立ち寄った農
場で、今しも黒人男性が鞭打たれようとしている現場を目撃
する。
何とそこでは、70年前に法律で廃止された奴隷制度が、まだ
生き残っていたのだ。
この事態に義侠心を燃やしたグレースは、父親と別れて農場
に留まり、奴隷たちの解放を試みる。折しも農場の女主人が
亡くなり、今際の際にグレースは、女主人がベッドの下に隠
し持っていた「ママの法律」と題された奴隷支配の手引書を
託されるが…
以下、ネタばれあります。
フォン・トリアーはこの映画の脚本を書くに当って、『O嬢
の物語』の刊行の際にフランスの作家が寄稿した序文「奴隷
状態における幸福」を参考にしたという。そこには1938年に
バルバドス島で発生した解放奴隷の暴動について書かれてい
たということだ。
つまり、法律によって突然に奴隷状態から開放された人たち
が、自分たちのするべきことも判らず、かえって元の奴隷状
態を羨望するようになるという皮肉な現実が、歴史的にも起
きていたということだ。そしてこの映画の物語もそのように
展開して行く。
しかし、本編の物語はそれだけを描いているのではない。そ
こに介入して、アメリカ民主主義を押しつけようとするグレ
ースの行為が、物語の他方の主題となっている。ここでは、
アメリカ政府が中東などで行っている行為があからさまに非
難されているものだ。
この作品に対しては、Variety紙やThe New York Timesなど
が好意的な評価を載せる一方で、The Hollywood Reporterな
どはかなり批判的な文章を掲載したようだ。
実際に僕が見た感想を言えば、この映画で展開されるアメリ
カ批判は即物的に過ぎるし、これでは神経を逆撫でされる人
も多いだろうと思うものだ。しかし、アメリカを始め多くの
映画製作者が口を噤んでいることを敢えて言おうとするなら
ば、これくらいにあからさまにしないことには、その目的は
達成できないということなのだろう。
因に、前作に主演したオーストラリア人のニコール・キッド
マンは役を降板した訳だが、代りに起用されたブライス・ダ
ラス・ハワードが若い分、アメリカの幼さが強調されたのは
上手いやり方のようにも感じられた。
ただし、前作はキッドマンの堂々たる演技と特異なセット環
境で、あえて芸術的と言える作品になっていたが、今回はセ
ットの風景にも慣れてしまったし、かえって戯画化された雰
囲気にもなって、その点では多少物足りなくも感じられた。
でも、今回は言いたいことが別にあったということで、次回
3部作の完結編には改めて期待したいところだ。


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井口健二