井口健二のOn the Production
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2003年12月16日(火) 幸せになるための・、エル・アラメイン、ニューオーリンズ・トライアル、25時、みんなのうた、グッバイレーニン、ニュータウン物語

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※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※
※僕が気に入った作品のみを紹介しています。     ※
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『幸せになるためのイタリア語講座』          
             “Itailiensk for Begyndere”
デンマークを中心に活動する映画グループ・ドグマの作品。
芸術映画の指向の強いドグマ作品では、『しあわせな孤独』
などを先に紹介しているが、本作はドグマ作品の中では判り
やすいというか、良くできたアンサンブル・ラヴ・ストーリ
ーだった。                      
アンサンブル・ラヴ・ストーリーも、先にイギリス製の『ラ
ブ・アクチュアリー』を紹介したが、あれほど大掛かりでは
ないが、この作品も巧くまとめられていた。       
主人公たちは、デンマークのとある町に暮らす6人の男女。
男性は、横暴な牧師の代りに町の教会にやってきた代理神父
と、その神父が仮住まいにするホテルのフロント係の中年男
性、そしてそのホテルが経営するサッカー場のレストランを
任されていたがくびを言い渡される元サッカー選手。   
女性は、アル中の母親と暮らしながら元サッカー選手と出会
う美容師と、生き別れの母親がイタリアにいると聞きその地
に憧れている無器用なパン屋の店員、そしてレストランの料
理人でフロント係に思いを寄せているイタリア人女性。  
彼らが、さまざまな理由で市主催のカルチャースクールのイ
タリア語講座に集まり、そして恋が芽生えて行く。それぞれ
の物語は、別にイタリア語講座はなくても良いのだが、会員
不足で存続の危うい講座を中心に、いろいろな出来事が起き
るという展開だ。                   
それがちょっと切なかったり、行き違いがあったり、主人公
たちはいい加減若くもないのだから、もう少ししっかりしろ
と言いたくなるが、自分がその立場だったら、多分同じよう
なことをしてしまうだろうと思わせる。そんなところが愛し
い作品だった。                    
                           
『炎の戦線エル・アラメイン』             
           “El Alamein la linea del fuoco”
第2次世界大戦ヨーロッパ戦線の激戦地の一つで、ドイツ軍
ロンメル将軍と英国軍モントゴメリー将軍が対峙した北アフ
リカ、エル・アラメインの戦いを描いたイタリア映画。  
イタリア軍の侵攻で始まった北アフリカの戦線には、当然イ
タリア軍もいたのだが、非力な軍隊は結局ドイツ軍の指揮下
に編入され、圧倒的な兵力を持つイギリス軍に対しては、ほ
とんど捨て駒のように扱われてしまう。         
昼間の炎天下では気温50度を超え、夜は零下になるという過
酷な気象条件の下、弾薬や武器、食料、水の補給もほとんど
なく、一貫しない指令に従って砂漠を北へ南へと彷徨する彼
らの行き着く先は、無名戦士の墓所しかない。      
元々が反戦思想で描かれた作品だから、それなりの誇張はあ
るのだろうが、それにしても悲惨な有り様で、中で何箇所か
描かれる息抜きのシーンには、本当にほっとさせられた。逆
に言うと、そのくらいに戦いのシーンの緊張感は巧く描かれ
ていた。                       
なお、その息抜きシーンで、主人公たちが全裸になり海岸で
はしゃぐ場面の2カットが映倫の指摘を受けているそうだ。
公開では修正が入ることになるようだが、抗議運動も起きて
いる。このような修正はかえってグロテスクにしてしまうだ
けのようにも思えるが。                
                           
『ニューオーリンズ・トライアル』“Runaway Jury”   
ジョン・グリシャム原作『陪審評決』の映画化。     
アメリカの裁判での陪審制度を非常に判りやすく映画いた作
品と言える。これを見て、陪審コンサルタントの役割や、現
実にここまでやるのかと思うような実体が理解できた。しか
も謎解きが見事に絡む辺りはさすがという感じだった。  
発端は2年前、証券会社をくびになった男がセミオートマテ
ィックの銃を乱射して11人を射殺、自分も自殺する。この事
件で夫を喪った女性が、その銃器の製造会社に対して損害賠
償を請求する裁判を起こす。              
陪審法廷となったこの裁判で、絶対に負けられない銃器会社
は、名うての陪審コンサルタントを雇い、無罪の陪審評決を
得られるように画策を始める。そして陪審員の選出では、問
題のありそうな人物を排除して行くのだが、一人の謎の男が
選出されてしまう。                  
そして裁判が始まった日、双方の弁護士の手元に「陪審員売
ります」と書かれたメモが届けられる。そして謎の男は、陪
審員を心理的に操り始める。              
この謎の男をジョン・キューザック、原告側の弁護士をダス
ティン・ホフマン、被告側の陪審コンサルタントをジーン・
ハックマン、そして連絡係となる謎の女をレイチェル・ワイ
ズという布陣で描くのだから申し分ない。        
裁判ものの面白さと謎解きのスリルを存分に楽しめた。  
なお原作はタバコ訴訟だったが、映画化では銃器訴訟に変え
られている。『ボウリング・フォー・コロンバイン』のオス
カー受賞などでタイムリーな変更にも見えるが、製作開始ま
でにかかった期間を考えると、ハリウッドでのタバコ産業の
ロビー活動もちらつくところだ。            
                           
『25時』“25th Hour”                
デイヴィッド・ベニオフが2001年に発表した小説を、原作者
自ら脚色、『ドゥ・ザ・ライト・シング』のスパイク・リー
監督、『レッド・ドラゴン』のエドワード・ノートンの主演
で映画化したドラマ。                 
主人公は麻薬取り引きで逮捕され、7年の刑となった男。し
かし若い白人の男が刑務所に入れられたら、7年の間にいろ
いろな男たちに弄ばれ、精神はずたずたにされる。それを避
けるには、逃げるか自殺するか。            
そんな男の最後の25時間が描かれる。          
男は自分の罪を判っている。しかし男には収監までにやって
おかなければならないことがある。その一つは、情報を警察
に売ったのが自分の恋人であるかどうか確かめること。そし
てもう一つは、瀕死の状態から助けた愛犬を預かってもらえ
る相手を探すこと。                  
そして男は、幼なじみで学校の先生をしている男と証券ブロ
ーカーで成功している男に、最後のパーティに来てくれるよ
うに頼む。そのパーティの会場となるクラブは、麻薬の元締
めが経営する店でもあった。              
この映画には、グラウンドゼロも登場するし、そこから空に
向けて発射されるサーチライトの映像もある。そんな現代の
ニューヨークのいろいろの姿が写される。2001年以降の映画
もいろいろ見たが、ここまではっきりとグラウンドゼロを見
せたのは初めてだろう。                
ノートンは、前半で感情を爆発させるシーン(映像表現が巧
い)を除いては、淡々と演じ切る。その演じ方が、後半のク
ライマックスに見事に繋がる。その他にも仕掛けはいろいろ
あって、さすが鬼才リー監督の作品と思わせた。     
なお、映画では画面のオフから聞こえる犬の吠え声がキーと
なるが、この吠え声をバウリンガルで確認したい気分にもな
った。                        
                           
『みんなのうた』“A Mighty Wind”           
2000年公開の『ドッグ・ショウ』が話題になったクリストフ
ァー・ゲストとユージーン・レヴィの共同脚本、主演、ゲス
ト監督によるフェイク・ドキュメンタリーのコメディ。  
このジャンルでは、ロブ・ライナーの脚本監督で、ゲストが
主演と共同脚本にも名を連ねた1984年の作品『スパイナル・
タップ』が嚆矢と言われ、今ではmock documentary(略して
モキュメンタリー)という名前も付けられているそうだ。 
という訳で、そのモキュメンタリーの旗手とも言えるゲスト
とその右腕レヴィの新作は、1960年代のアメリカフォークを
題材にしたもの。時制は現在で、その元締めとも言われたプ
ロモーターが亡くなり、その息子が父親の追悼コンサートを
開催しようとするお話だ。               
登場するのは、男女9人組コーラスグループのメイン・スト
リート・シンガースと、男性3人組のザ・フォークスメン、
そして伝説の男女デュオのミッチ&ミッキー。彼らの思い出
話とフォークに対する思い入れ、そして現在の様子などが描
かれる。                       
この内、9人組のグループは代替わりして現在に引き継がれ
ているものの、あとの2組は数10年ぶりの再会となるという
設定だ。そこには解散までの経緯や、現在も仲間に寄せる思
いなど、悲喜交々のドラマが存在するのだ。       
それそれのグループが、いろいろなフォークグループのパロ
ディになっているのはもちろんだが、その結成の経緯や解散
の理由などが如何にもありそうに語られる。また今も続くグ
ループの内情がかなり怪しげなのもありそうな話だ。   
一応、70年安保当時の日本で、反戦フォークからその後の青
春フォークブームに変っていく頃に、それなりに関心を持っ
て見ていた者としては、日本もアメリカも同じような話があ
ったものだと改めて思わされた。            
『ドッグ・ショウ』のときには、犬を飼っている者として成
程と思うところがある反面、多少どぎつい描写に退いてしま
ったところもあったが、今回は心底楽しめた感じだ。特にク
ライマックスなどは、フェイクと知りつつも目が潤んでしま
った。                        
といっても、ただでは済まないところがゲストとレヴィの凄
さだが。                       
それと、圧巻は中で歌われるフォークソングの数々。実に当
時の雰囲気を彷彿とさせる曲ばかりなのだが、これが全部フ
ェイクなのだ。エンディングロールによると出演者たちが自
分で作詞して歌っているようだが、歌唱演奏を含めていずれ
も見事なものだった。                 
また、作曲には、『オー・ブラザー!』のサウンドトラック
でマルチミリオンを達成したT・ボーン・バーネットが参加
しており、さすがという感じがした。          
                           
『グッバイ、レーニン』“Good Bye Lenin!”       
すでに何本か紹介したドイツのXフィルムの2003年作品。 
現代ドイツが抱える問題を鋭く描くXフィルムの今回の作品
は、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊前後の人々の混乱を
描いている。                     
主人公の母親は、筋金入り社会主義者の小学校教師。しかし
1989年10月7日の東ドイツ建国40周年記念式典の日に心臓発
作で倒れて昏睡状態となる。そして8カ月後、奇跡的に回復
はするが、その間にドイツは統一され、社会主義の東ドイツ
は消滅してしまう。                  
その母親の病状について、医者は次のショックが来たら最後
だと告げる。母親にとって最大のショックとは、信じてきた
社会主義東ドイツの消滅。そう考えた主人公は、あらゆる手
段を使って母親に旧体制の存続を信じさせようとするが…。
ピクルスやジャムを東ドイツブランドの瓶に詰め替えたり、
映画監督志望の友人にフェイクのテレビニュースを作らせた
り、そんな奮闘ぶりがユーモラスに描かれる。      
しかしその主人公が、母親のために偽の歴史を作り続ける内
に、それが東ドイツという消滅した国家への鎮魂歌であるこ
とに気付いて行く。                  
主人公自身は、社会主義者ではないし、基本的には東ドイツ
の開放を喜んでいる方の人間だろう。それでも、失われた祖
国への思いはつのる。それは主義主張を超えた次元のものと
いえる。そんなしみじみした情感が素晴らしい作品だった。
                           
『ニュータウン物語』(日本映画)           
1968年生まれのドキュメンタリー作家・本田孝義監督が、自
ら4歳から18歳までを過ごしたという岡山県山陽団地を再訪
して撮った作品。                   
岡山駅からは13km、バスでも約30分掛かる郊外の住宅団地。
団地と言うと関東では4、5階建てのアパート群が思い浮ぶ
が、ここは一戸建ての住宅と、一部に2階建ての県営集合住
宅が並ぶ、いわゆる郊外の宅地造成地だ。        
そんな住宅団地も建設から30年以上が経ち、住民は2代目3
代目となって、監督が昔遊んだ公園からは子供の姿が消え、
高齢化の過疎の町になりつつある。そんな中で、彼が住んで
いた頃からの近所の住人や、同級生たちを訪ねて作品は綴ら
れて行く。                      
神社のない町に共同意識を作ろうと始められた小学校と地元
合同の祭りも、今はもう行われていない。そんな団地の抱え
る問題を、監督は敢えて深入りすることなく描き出す。そし
て後半には、監督が提唱した街を使ってのアート展が紹介さ
れる。                        
場所と、そこに暮らす人間を描いたドキュメンタリーでは、
最近見た中では『ヴァンダの部屋』が強烈だったが。ある意
味、編集や演出で見せられる最近のドキュメンタリーに対し
て、ここでは恐らくは冗漫な部分をカットする程度で、生の
ままの提示が行われている。              
それは、一面では稚拙にも見せてしまうし、実際、技術レヴ
ェルはそんなものかもしれない。しかしこの作品には、自分
自身の思い出に繋がるような懐かしさがあり、そこには魅か
れるものがあった。                  
なお、登場人物の中に門さんちの将平君という子供がいるの
だが、この子の名前は逆から読むと、平将門。親は気が付か
ずに付けたのかなあ。                 


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井口健二