2005年09月14日(水) |
ポーなのかポゥなのか? |
いつも分からなくなるんだが流石に手元においていれば大丈夫だろう。
萩尾望都『ポーの一族』全3巻読了。 たまたまどこかで「異形でありながら人並みの幸福を求める」とかの解説で3作品ほど並べられていたうちの一作。平安編で取り扱おうとしているテーマに近いので参考に。
感想は……あまり私には参考にはならない感じ。 ↓(以下反転)↓ 通読してみて何かしっくり来ないと思ったが、エドガー以降のポーの一族が人間味を残しすぎて、せっかくの異形性をかなり失っているためだと思う。アラン然り、アーサー卿然り。唯一元の異形である可能性があったのはマチアス(多分。名前間違ってたらどうしよう)だがすぐに死んでいる。 子供のまま時を止めたせいかも知れないけれども、あくまでもエドガーはポーの一族の中では特殊な存在(人間だったときの心を濃く残している)であることを、どうも忘れているような気分になる。一緒に旅をしていた一族が最初に全滅しているところも勿体無いと思う。特殊なエドガーと対比されるべき、保守的なポーがいなくなってしまう、というか。
あくまでも結果としてだけれども、流石にこっちも3年ほどずっと考えているテーマなだけに、新たに得るものは特に無かった。これは別に否定的な評価ではないですよ。私にとっては目新しくなかっただけです。 ↑(反転ここまで)↑
近況。 近頃は早稲田祭の件でメールを送りまくってパケット代が心配です。 担当者なのだが上京したがらなかったり、どう考えても上京できない日にちに会議などがぶつかったり、結局遠隔操作ばかりで少し申し訳ない。 レポートが差し迫ってきたので余計なことはせず片付けてしまいたいところですが、なぜ漫画ばかり仕入れてくるかな……(川原泉作品収集中)。
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