【File113】西部戦線異状なし・・・新高山登レ一二○八【遂に本編突入か?編】 |
|
2005年12月08日(木)
年の瀬となっても、世の中は厭なニュースばかりが溢れ返っています。特に幼い命を蔑ろにする事件は許せません。愛しい幼子の命を無残に奪われた両親・親族の方々の心中を思うと、全く言葉がありません(>_<。)未だ未解決な茨城の事件の犯人早期逮捕を願うばかりです。耐震強度偽造事件もまた憤慨物です。被害に遭ったマンション住人の皆さんやホテル関係者の皆さんの怒りは尤もですが、その救済に我々の税金が投入されると思うと、これらの悪巧みに荷担したと思われる設計者・施主・建築会社・検査会社への憤りも免れません凸(`Д´メ)。毎日のニュースやワイドショーに登場する、これらの関係者の顔を見る度に胸糞(失礼・・・)が悪くなる今日この頃であります凸(`0´)さてそんな悪いヤツラに、正義の鉄拳が振り下ろされる事を祈りつつ、今回もスタートです・・・いよいよ観戦記執筆の時がやって来ました・・・時あたかも太平洋戦争の火蓋を切った真珠湾攻撃・・・将にリメンバー・パールハーバーのその日。それでは【開演ブザー】・・・携帯電話の電源はお切り下さい・・・【引き続きこの書き込みに資料的価値はありません・・・】
【遂に観戦記執筆の時は来た・・・のだが・・・】 待ちに待った『西部戦線異状なし』1979年リメイク版DVDが手元に届き、観戦記執筆の為の諸条件は遂に揃った!( ̄▽ ̄)σ早速DVD版の観戦を開始・・・やはり以前レンタルビデオをダビングしていたビデオの映像とは、格段の画質の違いだ。LD版は●フオクで入手出来たものの、結局プレーヤーのセッティング作業の面倒臭さから、結局観戦する事はなかったので画質の違いを尚更強く感じられるのかも知れない。観戦しながらもドンドン作品のシーンの中に引き込まれて行く・・・なんて素晴らしい出来なのだッ!こりゃネット上で評価が高いのも尤もだ\(⌒∇⌒)/・・・なんでも1930年版旧作よりも原作のストーリーに忠実って事なのだが・・・(;゚⊿゚)ってオイオイ、ちょっと待てよ?俺って原作読んだ事あったっけ???よくよく考えてみたら原作を完全に読んだ記憶ってないよなぁ・・・(汗)確か新潮文庫から文庫版が出版されてて、夏休みの読書感想文の対象作品なんかに指定されてたけれど、結局学生の時には読まずじまいで、社会人になってからは尚更読む気なんか起きなかったもんなぁ~。1979年リメイク版DVDを観戦しながら、つくづく考え込んでしまった(?-o-)
実のところ私ATFは、過去何度も掲示板や観戦記等で公言していたのだが、∠(^-^)極力作品の原作は読まない人だったのである。ベストセラー小説を映画化した場合、よく〝原作のイメージがぶち壊しだ〟なんて感想や評価を聞く事がある。確かに小説からのファンの場合、小説の中の文章によって表現された人物像や世界感を自分の脳内でイメージに変換するので、実際映画化の際に監督や演じる役者のイメージによって作り出される劇中世界や人物像が、ファンのイメージと全く反りが合わないって事が多いのではないだろうか・・・確かにそればかりではなく、原作のイメージ通りに映画化され、原作ファンの評価が高い作品も少なくない・・・のだが。私ATFは、元来(^0^)σ〝戦争映画は観てなんぼ!〟と言う偏屈とも思えるポリシーを持っている。あくまでも映画を観て得られた、監督や役者によって形作られた作品のイメージを優先したいが為に、原作を読む事によって自分の脳内で映画と異なる作品のイメージを創り出したくない・・・のである。そんな訳で、OFF会の席上等で過去何度も友邦サイトの管理者の方々や戦友及び一部観戦武官諸士の皆様から、数々の作品の原作本を読むことを薦められて来たのだが、正直殆んど読んだ事はない。まともに原作を読んだ記憶があるのは(;^_^)σ『南の島に雪が降る(加東大介/著)』と『与太郎戦記/陸軍落語兵(春風亭柳昇/著)』のシリーズくらいなのであった・・・。
1930年版旧作DVDと1979年版リメイクDVDの観戦は一通り終えた。しかしその後観戦記を執筆するに当り、その執筆コンセプトを考えた事によって真っ先にぶち当たった壁・・・それが『西部戦線異状なし』の原作本を読むという、全く以って避けられない壁なのであった・・・σ(⌒▽⌒;)
【ちょっとピンぼけ・・・】 兎に角も『西部戦線異状なし』の原作本を入手しなければ・・・早速近所の書店に出かけた・・・大方の予想に反して(オイオイ)・・・原作本はすんなり発見出来た!流石は定番名作小説である。場末の小さな本屋でも、ちゃんと陳列棚に並んでいるのである。購入し自宅に戻ると、その日から読み始めた。文庫本自体の厚さはソレ程ないので一気に読み終る事が出来た・・・しかし、ただ単に読むだけでは観戦記の執筆時に役には立たない。(;-_-)σ私ATFの64mbの頭脳では、小説の各章が一体映画のどのシーンに合致するのかなんて、いちいち記憶しておけるはずがないのだ。そこで仕方なく再度小説を読み返しながら、各エピソード毎に付箋(ポインティング)を貼り付け、それぞれに自分なりの仮タイトルを書き込んで行った・・・こうして後日映画版の各シーンのエピソードと比較して行こうと言うのである・・・結局付箋(ポインティング)を貼り付けながらの再読は丸三日にもおよび、最終的に原作本へ貼り付けた付箋(ポインティング)の数はは42枚にも達した。(^◇^;)σ【コレが証拠写真(ちょっとピンぼけ)だッ!】いや~しかし流石に名作の誉れ高い『西部戦線異状なし』である・・・読み終わって(・・・結局都合五回も読み直すハメに・・・)改めて名作の凄さを実感させられた私ATFであった! こうしてノリと勢いの条件が揃った私ATFは、遂に1930年版旧作DVDと1979年版リメイクDVDそして原作本の三者のストーリーを比較する・・・おっと忘れてた・・・1979年版リメイクビデオでカットされていたシーンも含めて・・・という、今更ながら考え直してみると、全く以ってトンデモなく無謀な作戦をおっ始めてしまったのであった・・・o(><;)o
【今更ながらのエーリッヒ・マリア・レマルク】 さて今更ながらだが、未だ『西部戦線異状なし』を観戦していない観戦武官諸士の為に、原作者エーリッヒ・マリア・レマルク(Erich Maria Remarque(本名/Maria Paul Remark)/1898/6/22~1970/9/25)の経歴についておさらいさせていただく・・・( ̄▽ ̄)σレマルクは、1898年に独ウエストファーレンの地方都市オスナブリュック市に生まれた。実家は敬虔なカトリック信者で、父親の仕事は製本業。18歳の時にギムナジウム(寄宿制高等学校)の友人と共に第一次大戦に出征し、西部戦線へ配属されるも負傷・・・終戦まで病院で過ごし1918年に復員した。復員後はギムナジウムに復学。卒業後小学校教員や会社勤務を経て、ベルリンにてジャーナリストとなる。雑誌等で記事を執筆しながら、1929年に自らの従軍体験を基に戦場での体験を通じて戦争の悲惨・残酷さを生々しく記した『西部戦線異状なし(独語原題:Im Westen nichts Neues)』を発表・・・。当初はその余りに生々しい内容から、幾つも出版社に出版を拒否されたが、出版されるや瞬く間に25ケ国語に翻訳され350万部を超える一大ベストセラーとなった。その後執筆した「帰り行く道(1931)」は、ナチス台頭期下において厭・反戦的な内容の作品だった為、ナチス党から迫害を受け、1932年スイスへと亡命を余儀なくされた・・・結局『西部戦線異状なし』は、1933年ナチス政権樹立後に宣伝相ゲッベルス陣頭の下でベルリンのオペラハウス前で行なわれた焚書処分の対象となり、その後1938年ナチス・ドイツ政府はレマルクのドイツ国籍を剥奪した(一説によれば、レマルクはフランス系ユダヤ人の末裔だと言うデマも流されていたらしい)。1939年レマルクはアメリカへ再亡命。1941年に「汝の隣人を愛せ」を発表後、暫くはヒット作品に恵まれず不遇な生活を送っていたが、1946年これもまた200万部を超える大ベストセラーとなった「凱旋門」を発表し、世界的作家としての名声を拍した。その後も「命の火花(1952)」「愛する時と死する時(1954)」「黒いオベリスク、ある遅い青春の物語(1957)」等名作を発表した。(;; ̄ー ̄)σまたマレーネ・ディートリッヒやポーレット・ゴダード等有名女優たちとも浮名を流したプレイボーイとしても知られている。
【西部戦線異状なし・・・トリビアの泉】 原作者エーリッヒ・マリア・レマルクの経歴についての説明が終わったところで、本来ならばここから『西部戦線異状なし』の映画の内容紹介が始めるべき・・・ところだが、前にも述べた通り、今更ながらこれほど有名な作品の内容を、ただ紹介するだけでは面白くも何ともない・・・ヾ(  ̄▽)ゞそれじゃ~ッてんで、当初の計画に従い『西部戦線異状なし=その後の全ての戦争映画の母・・・原点的作品』と言う点を掘り進めて、昨今の主要戦争映画作品と比較してみよう・・・ッと思っていた・・・のだが(オイオイまたかよ?o(>-<)o)元来厭きっぽい性格の私ATFである・・・ここに至って、そんな面倒臭そうな事なんてやりたくなくなった。ただでさえ1930年版旧作DVD:1979年版リメイクビデオ:1979年版リメイクDVD:原作本の四者比較というトンデモなく無謀な作戦を同時侵攻・・・いや進行中な身・・・と言う事で、あっさり当初の計画は放棄・・・海兵隊は臨機応変だ(意味不明)・・・してしまったのであった(何のこっちゃ?┓(´_`)┏)
しかしながら一応は当初の計画に従い『西部戦線異状なし1930年版旧作』に絡んだ情報についても、ネット上で調査も進めており、幾らかのヘェ~な情報も収集していた。まぁこれらの\(●o○;)ノヘェ~な情報を、そのまま闇に埋もれさせて置くのも全く勿体無い話である。そこでコレら知って得・・・は余りしない無駄な知識=トリビアなネタを、ここで幾つかご紹介させていただく・・・(;^_^)σ
●(;^_^)σ第一次大戦から十余年を経た1929年に発表され大ベストセラーとなった『西部戦線異状なし』は、翌年の1930年に米国で映画化されるのだが、この時、米国ユニヴァーサル社の社長カール・レムリ・ジュニアは態々ドイツに赴き、レマルクとの直交渉の末に映画化権を獲得した。当初カール・レムリ・ジュニアは、原作者のレマルク自身に主人公役を演じるよう勧めるが、レマルクは自分は俳優でないし、執筆が忙しいと出演を断る。映画化に当り、監督には第一次大戦時に米軍の教育映画製作に従事していた、当時33歳の若手監督ルイス・マイルストンが抜擢される。
●(;^_^)σユニヴァーサル社は莫大な製作予算を準備し、ロサンゼルス郊外の牧場地20エーカーを借り切り、第一次大戦当時の西部戦線の戦場を再現した。実際にダイナマイトを爆発させて砲弾痕の穴を作り、膨大な水を使ってぬかるんだ泥を再現。また無数の雨水溜りを作り出した。全長1.5マイルの運河と10エーカーにも及ぶフランスの村も再現された。撮影用の小道具として12器の火炎放射器と20門の独製榴弾砲、黒色火薬20トンとダイナマイト10トンが準備された。戦闘シーンの撮影は、将に本物の戦場さながら・・・時にはマイルストン監督自身が、爆薬の爆風で吹き飛ばされ意識不明に陥った事もあった。撮影スタッフは総勢5000名にも及び、登場するエキストラ2000名の殆んどは第一次大戦に参戦経験のある米独仏英加伊の退役兵士たちだった・・・その中には、後に「地上より永遠に(1953)」の監督となるフレッド・ジンネマンがいた。
●(;^_^)σレマルクが断った主人公ポール役には、新人俳優リュー・エアーズ(Lew Ayres/1908/12/28~1996/12/31)が抜擢され、彼の仲間である若き志願兵役にも19歳から22歳の無名の若手俳優が選ばれた。リュー(ルイス)・エアーズは、1908年ミネソタ州ミネアポリスに生まれた。アリゾナ大学で薬学を専攻。ピアノが得意で楽団で演奏活動中に認められて俳優となる。1929年にはジャック・フェデー監督作品『接吻』でグレダ・ガルボと共演した。1930年『西部戦線異状なし』の大ヒットにより、当時22歳で端正な顔立ちと目の表情が印象的な俳優だったエアーズは、一躍ハリウッドの人気スターの仲間入りを果した。その後「鉄青年(1931)」「麗はしの巴里(1935)」「素晴らしき休日(1938)」等に出演するも演技力や作品に恵まれず、次第に人気は薄れB級スターとして俳優活動を続けていた。第二次世界大戦が勃発した1941年には良心的戦闘参加拒否を宣言。当時の世論は、彼の行為を非難した為に一時映画界を去り、強制労働キャンプに収容された。その後入隊するが非戦闘員の看護兵として従事した。その後は宗教の研究等にも勤しんだが、1970年代にはテレビ映画の「刑事コロンボ/愛情の計算(1973)」や「オーメン2/ダミアン(1978)」「宇宙空母ギャラクティカ(1978)」「死霊伝説(1979)」等に出演し、1980年代まで映画やテレビドラマで活動していた。1933年に人気女優ジンジャー・ロジャースと結婚したが、1941年に離婚した。
●(;^_^)σ最初、主人公ポールの母親役は有名喜劇女優ザス・ピッツであったが、完成後の披露試写会においてザス・ピッツが登場すると、彼女に対してコメディエンヌの印象を強く持っていた当時の観客たちは、途端に笑い出してしまった。これでは折角の感動的シーンが台無しなので、製作者のカール・レムリ・ジュニアの指示により母親役はベリル・マーサーに変更され、母親の登場シーン全てが撮り直された。しかし欧州公開用には既に初版プリント版が送られた後であったので、欧州公開版ではザス・ピッツが母親役を演じていた。
●(;^_^)σ『西部戦線異状なし』公開時の1930年当時は、トーキー映画が上映可能な映画館が世界的に少なかったので、トーキー版とは別にサイレント版も製作されていた・・・日本ではトーキー版で公開。しかし米国以外の幾つかの国では、その公開を巡って問題が起こっており、ポーランドでは親ドイツ的だという理由から、またドイツではその逆に反ドイツ的と言う理由で左派対右派が衝突し流血騒動が起き、遂には上映が禁止された。しかし公開された国々では多大な評価を得て、その年の興行収入トップ10に入る大ヒットを記録、第3回アカデミー賞では4部門にノミネートされ作品賞と監督賞の2部門のオスカーに輝いた。
●(;^_^)σ日本では、軍国主義化が進み軍部が力を強めていた1930年10月30日に封切られた。日本で翻訳版小説が発表された当時も、その生々しい戦闘描写やフランス兵殺害場面、主人公の反戦的な言動等がことごとくカットされ、また訳者である秦豊吉氏が赤坂の憲兵隊本部に呼び出され、映画の日本初公開時には検閲によってフィルム700m(約15%)がカットされた短縮版が公開された・・・結局完全版が公開されたのは、戦後20年経った1965年だった。また初公開日には、観客の長蛇の列が出来ていたが、その横では憲兵が目を光らせていたという。一説によれば、劇場公開版のラストシーンには、独軍の司令部参謀が日誌に〝Im Westen nichts Neues〟と記入するシーンがあるらしい。
●(;^_^)σレマルクの作品では、1948年に『凱旋門』がマイルストン監督によって映画化されたが、この作品は恋愛ドラマ色強く演出されている。また1958年には、第二次大戦下の若きドイツ軍兵士を主人公として、その愛と死を描いた『愛する時と死する時(原題:A Time to Love and A Time to Die)』が、ダグラス・サーク監督によって映画化された。東部戦線とドイツ国内を舞台とした総ての場面は、西ドイツでドイツ側のスタッフとキャストによって撮影された。『西部戦線異状なし』製作時には主人公役を断ったレマルクだが、この『愛する時と死する時』では、ユダヤ人の逃亡を助けゲシュタポにマークされている、主人公の恩師ポールマン教授役を快く引き受けている。
【西部戦線なパッケージ大集合】 実は前述の様に『西部戦線異状なし』のトリビアネタの収集と並行しながら、最近になって矢鱈と発売され始めた、旧作廉価版DVDの種類が一体どれ位あるのか・・・と言う調査も密かに行なっていたのである(⌒O⌒)σネット上のオークションサイトやDVD通販サイトを片っ端から調べ、幾つかの種類の商品パッケージ画像を見つける事は出来たのだが、どうにも他にあるような気がしてならない。そこで観戦武官次室において、廉価版DVD以外のパッケージ画像も合わせ、情報収集の協力をお願いした・・・探しています!・・・その結果、皆さんのご協力によって、更に幾つかのパッケージ画像を入手する事が出来た(^o^)ゞ・・・と言う事で、過去発売されたビデオ及びDVD版のパッケージ画像を含め、現状確認出来た『西部戦線異状なし』関連のソフトは( ̄▽ ̄)σご覧の通りである!・・・ここに紹介されているパッケージの商品以外を所有されている、と言う方がいらっしゃれば、是非とも画像情報の提供をお願いしたい・・・次第である<(_ _)>
当初の計画であった『西部戦線異状なし=その後の全ての戦争映画の母・・・原点的作品』と言う点を掘り進めて、昨今の主要戦争映画作品と比較する、というコンセプトはあっさり放棄し、余り得しない無駄な知識=トリビアなネタを披露し・・・そんでもって1930年版旧作DVD:1979年版リメイクビデオ:1979年版リメイクDVD:原作本の四者比較作業は未だ進行中・・・となると、一体観戦記はどうなってるんだ・・・このまま懺悔ばかりで終るのかぁ~?と観戦武官諸士の怒りの声がヒシヒシと・・・m(¬o¬)mさてさて一体どうしたものか?と思案を重ねる私ATFであった・・・が、実は今回『西部戦線異状なし』の観戦記執筆に取り掛かった当初から『西部戦線異状なし』に関わる大きな疑問点を心の奥底に抱いていた・・・(;^_^)σしかもその疑問点はひとつではなくふたつ・・・この疑問点を解決してこそ∠(^o^)〝真の勇者〟ではなかろうか(ー_ー#)何だコイツ?)・・・と言う訳で、ノリと勢いに単なる気まぐれの香辛料が加わった観戦記は、レイテ海戦時の栗田艦隊の謎の反転の如く大きく進路を変え、遂に本題へと突入して行くのであった・・・【今度こそ本当の観戦記に続く・・・はず・・・である(^o^;A】
|
|
|