| 2002年02月27日(水) |
大本営・熱意の生まれるところ |
カミさんのオバさんの葬式があった日。 京都に行く。
電車の中で吉村昭の「大本営を震撼させた日」を 少しだけ読む。
何を読んでも感心することが多い。大本営という 言い方の持つ重みは当時すごいものだったんだろ う。
昨日は客の置いていった推理小説をパラパラと読む。 キリシタンのことがプロローグに書いてあった。
フランシスコ・ザビエル。 今、ニューヨークへ行って一旗あげようと思う人は わりにいるのだろうが、全く未知の土地に行って キリスト教を布教させようとする気持ちがわからない。 征服する気持ちなのだろうか。
鑑真にしても何もわざわざ日本まできて仏教を広める ことをしなくても自国で充分それなりの地位にいれ たのではないのだろうか。 そういう危険をおかしてまで布教をしようとする 熱意は何なんだろう。
思うのだが彼等(フランシスコ・ザビエルや鑑真)には その宗教を理解しようと努力をした日本人の誰かとの 接触があったのではないかと思う。
彼らの熱意は実はある日本人の熱意から伝わったもの なのではないだろうか。
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