イツカノキズアト



<<>>


2001年11月15日(木)
三日目
自由行動の日。私たちの班は渋谷→原宿→明治神宮→お台場だったんだけど、
お台場は結局無し。
時間がなかったから。って言うか、渋谷や原宿、行ったはいいけど、私にはつまらなすぎて嫌だった。
だって、お金もそう持っていってないのに、そうそう服なのに買える訳ないし。
だから、私には行ってもつまらなかった。ソレにだんだん時間がたつにつれ、みんな不機嫌になっていって、自己中な人も十分にいて、纏めるのが大変だった…。
かなり凹んじゃったし…。
でも明治神宮で生き返った。みんなは別によく思ってなかったようだけど、私には本当に落ち着いた。
緑が沢山あって、とっても空気が綺麗で、何とも壮大な景色…。人があんまりいなかったし。
木が…とても凄かった…。大きくて…なんて言うか凄くいい感じだった…。
やっぱり木が沢山あると落ち着くv

ホテルは二日目と同じ。
なんだかこの日は凄く凹んでて、明治神宮に行ったからって、どうかなるものじゃなかった。凄く悲しくてずっと泣いていた。
二日目と同じく、人が沢山来て、余計に疲れちゃった。恵さんはずっとなたくとかるぅあ姐さんとかと話してて、余計に悲しくて、なんだかずっと泣いてた。
もうどうすれば言いか判んなくて、お風呂に入った時なんか大泣きしてた。
それで、目が真っ赤で出たくなかったけど、当然出て、それからベッドに座ってずっと虚ろな目をしてた。
勿論そんな中恵ママとなたくとるぅあ姐は楽しく話してた。
たぶん、気に掛けてくれてはいたんだろうけど、何も言われなかった。
ほっといても止め処なく涙が流れて、涙が出なくなったと思ってお茶を飲んだら、何か訳も判らず涙は出てくるし…。もう、どうしようかと思った…。
途中、恵ママが「寝ときなさい」って、私を心配してくれて、言ってくれた。
無言で、私は泣きながらベッドに横になった。
そうするしかなかったから…。
消灯は十一時。消灯っても、電気が切られるわけじゃなく、寝ろよ、って感じなだけだからなたくとかもまだ遊びに来てた。
それで、いつ頃だろう…。なたくが帰っていった。
それを恵みママが見送っていって、私はその時、ベッドの上にむくりと起きた。
また、涙を流しながら。

嫉妬と意味不明な感情と強い想いと友情関係と恋愛と…。
そんなものがごちゃ混ぜで頭がどうにかなってしまいそうで、何でないてんのかもよく判らなくて、とにかく涙だけが出てた。
それで、恵ママが戻ってきて、私を見て、今まで訊きたかったんだろう(訊きたかったのか?)けど、訊かなかった「どうしたの?」ってことを訊いて来てくれた。
私にはそれが合図で、
もう、泣くことをやめることなんて出来なくて、号泣しながら、「今だけ甘えさして」って何とか言った。
「いいよ」って言われたからゆっくりとベッドから降りて、隣の恵さんが座ってるところに行って、服の裾を掴んで、かなり泣いた。
本当は抱きつきたかったんだけど、それは憚った。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて。
物凄く泣いて、恵ママが「どうしたの?」って心配して、それすらも悲しくて泣いた。
いろいろなことが重なりすぎて辛すぎた。
私には生きていけない世界だと思った。
いろんな話を聞いてもらって、恵さんは私の性格を「優しすぎる」、って言った。
優しすぎる…のかなぁ…。よく判らない。そうかもしれない。
でも、優しすぎる性格だけじゃ生きていけない。
私はこんなにも弱い。
それで、私は自分が大嫌い。だから、凄く自虐的なんだけど、恵さんは、そんな私のことを、
「華菜恵ちゃんの性格好きよ」、「華菜恵ちゃんが自分の心配しないんだったら私がしてあげる」とか言ってくれて、凄く嬉しかった。
でも、余計に悲しくなった。癒されて、救われた感じはしたけど、恵ママは私のものじゃない。
結局は他の人のことだってあるんだから、頼りすぎたら独りじゃ生きていけなくなる、って思った。
私ってなんて弱いんだろう…。悲しすぎる。
私にはこの世で生きていくほど、強い精神なんて無い。
恵さんは優しい。
弱そうに見えて強い。だけど、だから心配。
人の心配なんてしないほうがよくても、私は心配してしまうのだから仕方ない。
頑張って生きていくことがどんなに辛いかよく知った。
私はこれから生きていけるのかな?
凄く心配になった…。


って、凄く長く書いちゃった…。










Design by shie*DeliEro
thanks for Photo→モノクロォム。