自由行動の日。私たちの班は渋谷→原宿→明治神宮→お台場だったんだけど、 お台場は結局無し。 時間がなかったから。って言うか、渋谷や原宿、行ったはいいけど、私にはつまらなすぎて嫌だった。 だって、お金もそう持っていってないのに、そうそう服なのに買える訳ないし。 だから、私には行ってもつまらなかった。ソレにだんだん時間がたつにつれ、みんな不機嫌になっていって、自己中な人も十分にいて、纏めるのが大変だった…。 かなり凹んじゃったし…。 でも明治神宮で生き返った。みんなは別によく思ってなかったようだけど、私には本当に落ち着いた。 緑が沢山あって、とっても空気が綺麗で、何とも壮大な景色…。人があんまりいなかったし。 木が…とても凄かった…。大きくて…なんて言うか凄くいい感じだった…。 やっぱり木が沢山あると落ち着くv
ホテルは二日目と同じ。 なんだかこの日は凄く凹んでて、明治神宮に行ったからって、どうかなるものじゃなかった。凄く悲しくてずっと泣いていた。 二日目と同じく、人が沢山来て、余計に疲れちゃった。恵さんはずっとなたくとかるぅあ姐さんとかと話してて、余計に悲しくて、なんだかずっと泣いてた。 もうどうすれば言いか判んなくて、お風呂に入った時なんか大泣きしてた。 それで、目が真っ赤で出たくなかったけど、当然出て、それからベッドに座ってずっと虚ろな目をしてた。 勿論そんな中恵ママとなたくとるぅあ姐は楽しく話してた。 たぶん、気に掛けてくれてはいたんだろうけど、何も言われなかった。 ほっといても止め処なく涙が流れて、涙が出なくなったと思ってお茶を飲んだら、何か訳も判らず涙は出てくるし…。もう、どうしようかと思った…。 途中、恵ママが「寝ときなさい」って、私を心配してくれて、言ってくれた。 無言で、私は泣きながらベッドに横になった。 そうするしかなかったから…。 消灯は十一時。消灯っても、電気が切られるわけじゃなく、寝ろよ、って感じなだけだからなたくとかもまだ遊びに来てた。 それで、いつ頃だろう…。なたくが帰っていった。 それを恵みママが見送っていって、私はその時、ベッドの上にむくりと起きた。 また、涙を流しながら。
嫉妬と意味不明な感情と強い想いと友情関係と恋愛と…。 そんなものがごちゃ混ぜで頭がどうにかなってしまいそうで、何でないてんのかもよく判らなくて、とにかく涙だけが出てた。 それで、恵ママが戻ってきて、私を見て、今まで訊きたかったんだろう(訊きたかったのか?)けど、訊かなかった「どうしたの?」ってことを訊いて来てくれた。 私にはそれが合図で、 もう、泣くことをやめることなんて出来なくて、号泣しながら、「今だけ甘えさして」って何とか言った。 「いいよ」って言われたからゆっくりとベッドから降りて、隣の恵さんが座ってるところに行って、服の裾を掴んで、かなり泣いた。 本当は抱きつきたかったんだけど、それは憚った。 泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて。 物凄く泣いて、恵ママが「どうしたの?」って心配して、それすらも悲しくて泣いた。 いろいろなことが重なりすぎて辛すぎた。 私には生きていけない世界だと思った。 いろんな話を聞いてもらって、恵さんは私の性格を「優しすぎる」、って言った。 優しすぎる…のかなぁ…。よく判らない。そうかもしれない。 でも、優しすぎる性格だけじゃ生きていけない。 私はこんなにも弱い。 それで、私は自分が大嫌い。だから、凄く自虐的なんだけど、恵さんは、そんな私のことを、 「華菜恵ちゃんの性格好きよ」、「華菜恵ちゃんが自分の心配しないんだったら私がしてあげる」とか言ってくれて、凄く嬉しかった。 でも、余計に悲しくなった。癒されて、救われた感じはしたけど、恵ママは私のものじゃない。 結局は他の人のことだってあるんだから、頼りすぎたら独りじゃ生きていけなくなる、って思った。 私ってなんて弱いんだろう…。悲しすぎる。 私にはこの世で生きていくほど、強い精神なんて無い。 恵さんは優しい。 弱そうに見えて強い。だけど、だから心配。 人の心配なんてしないほうがよくても、私は心配してしまうのだから仕方ない。 頑張って生きていくことがどんなに辛いかよく知った。 私はこれから生きていけるのかな? 凄く心配になった…。
って、凄く長く書いちゃった…。
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