狛の日記...狛。

 

 

秋田LIVE - 2006年12月19日(火)


白いスクリーン代わりの布の向こう側からリズムを刻むドラムの音が小さく響き、
ゆっくりとシルエットを映していたその布が引き上げられると同時に
彼らが音を紡ぐその第一音の力強さに、気持ちが惹き込まれる。

知らぬ間に口角が上がり、悦の感情がざわりと内側に満ちてくるあの昂揚感に、
それまでの憂いが全て払拭された。


聴きたかったその音質に、悲鳴を上げそうになる。
あの時の音が嘘のように、迷いのない真っすぐな音色には泣きたくなった。



LAYLAの持つ雰囲気は変わってしまったけど、
これはこれで良いのかもしれないし。
彼らが求めたものはきっと、
突き付ける鋭さではなくて、抱き締める柔らかかさなのかもしれないし。

擦れた歌声が少し痛かったけど、
曲の合間に必死にスタッフへと合図を送るヒサシの横顔はやけに格好良く見えたし、
最初から躊躇うことなく音を刻むジロウの低音の存在感は進歩したな、と実感した。


自分とジロウを指し示して、指だけじゃなくて腕まで上げていたヒサシを見ながら、
自分とジロウの音も一緒に上げようとしていたヒサシな心境が何となく分かる気がした。


誇らしげにギターを客席に向けながら、
誰かさんを彷彿させる前傾姿勢で紡ぐ、揺れない和音は耳に心地よくて、
流れるメロディラインの途中で中途半端にボリュームが上がっていくのは
愛嬌の範囲に入れておく。

最初は少し荒っぽい印象を受けたヒサシのギター音だったけど、
いつのまにか落ち着きを取り戻したように静かに周りに調和していくから不思議。

代わりに、
一番の基準になるドラムからリードを奪って先走ってスピードを上げるジロウのベース。
いつもはリズム隊を差し置いて走るヒサシがついて来れないのが、何だか可笑しかった。








そんなヒサシが、MCで紡いだ言葉の意味があまりにも重過ぎて。
じつは、少しユーモアを含めたヒサシの言葉に、自分たちは笑うことができなかった。


どうしてこの場所で、その話題にしたのだろうか、とか。
どうしてこのタイミングで、その話題に触れたのだろうか、とか。
彼が抱えた胸のしこりがちゃんと消えたから、口に出せた話なのだろうか、とか。
逆に、まだ痛いくらい残っているから、あえて口にした話なのだろうか、とか。

周りにいた人たちがくすくすと笑ったり、
家族の愛情をただ暖かいだけのものとして捉えたりしている事実が逆に不思議で。

ヒサシにとっては、そんな生易しいものではないような気がしてならなかった。


彼が口にする父親の話は、いつだって棘や痛みを伴うから。
思わず顔を顰めたくなって。泣きたくなる。

次に続くタクロウが、言葉を紡ぐことを一瞬だけ躊躇ったり、
隣にいるジロウが、じっとヒサシの方を向いていたりする姿も、少し痛かった。



ヒサシが失ったものの大きさを、あの時笑った人たちはどう捉えているのだろう。








そんなヒサシの言葉を聴きながら、調子の善し悪しがあまりにも激しくても、
今が良ければ、それで良いのかもしれないと想いなおしてみた。




ステージのフロントと上手に立つ二人は、
自分という人物まで見てほしいと言っていたけれど。
反対側の二人はそんなことを言わなかったし、
たぶんアーティストの部分を見てほしい人なんだと思うから、
ステージの上が全てなのだと思う。


だから、自分は彼らが言葉よりも感情を込めてくれているであろう音しか信じないし、
それ以外の安い言葉や言い訳は認めない。




ただ今日は、
あれだけの音や感情を痛いくらい魅せつけてくれた彼らを
リアルタイムで見ることができた事実が、
誇らしかったし、幸せだったし、本当に良かったと思った。



巧い言葉が見つからないのが悔しいけれど、賞賛の眼差しを愛情と気持ちを込めて。

また逢いに行こうと思った。



...



 

 

 

 

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