2001年12月06日(木) |
表で言えなかった本音 |
FNS歌謡祭の後にうっかり「此処が変だよ日本人」を見てしまったのが 今日一番の間違いのモト。(笑) 番組のテーマが久し振りに興味をそそるモノだったので、 (番組開始当初は好きで見てたんだけど、今は嫌いなんだよねぇ<此処変) 家族5人テレビの前に釘付け状態で見てました。 (パパりんはテレビ見てなかったけどね/笑)
『日本のバリアフリー事情』が大まかなテーマだったのだけど。 何か、日本はホントにまだまだだなぁ、ってしみじみ強く感じた。 スリランカのヒトが 「スリランカでは障害を持った人と健常者は一緒の学校に通っている。 だから自然に障害を持った人への心構えが日常的なものとして持てている」 って言ってたのね。 それって凄く素敵だなぁ、と思ったわけですよ。 日本は盲・聾学校、知的障害者の学校、身体障害者の学校があって。 其処で既に『健常者』と『障害者』の線引きがされてるんだよね。 普段の自分の生活の中に『障害者』へどう対応して行けばイイのか、って言う 経験が皆無に等しいから、街で出会う障害を持った方にどう接してイイかも 分からないし、声を掛ける事勇気も無いし。 何らかの障害を持った方へ「可哀想」だと思うのは失礼な事だとだと、 頭では分かるんだけど、どうしてもそう思っちゃう自分も居るし。 そこら辺はホントに複雑なんだけども。 日本のバリアフリーは見せ掛けだけのものだ、ってコトが番組の特集でハッキリしたね。 あんなに大変だとは思わなかった。ただ外出するだけでも、『健常者』からすれば 思わぬところで多大な苦労をなさっているし。 やっぱり「身を持って経験してみないと分からない」んだね。 道を作る人、お店などの建物を作る人達はホントに一度でイイから 「車椅子の人」や「目の見えない人」、その他障害を持った人の身になって モノを造っていくべきだね。 とってもとっても失礼かもしれないけれど、こういう番組を見ていると、 自分が健常者として生まれたコトにとても感謝の気持ちでいっぱいになる。 其れは本当の気持ち。 多少健康面で不安があるのはそれは自分のせいだしね、あたしの場合。(遠い目) でも、これと言ったアレルギーも無いし。 何の不自由ないこの日本で生まれて、何の不自由ない暮らしを営んで。 ……その事へ感謝する時間や機会なんて、一体どれくらいあるんだろう。 番組を通してそう思う、っていうのも何か間違ってるとは思うんだけど。
番組中も番組終了後も、(パパりんを除いた)家族会議は続いて。(笑) 途中かなりぶっちゃけトーク炸裂だった。(笑) いつも友達に言われるんだけどさ、ウチの親子仲良過ぎなんだよね。(笑) 『フツー其処まで親には言えない』って事も、アタシは母親に言ったりするし。 (ex.ドラマ『ヴァージンロード』を見ながら/あたし>「今時ヴァージンロードをヴァージンで歩く女なんか何人いるのかね」/おかん>「(即答で)いないんじゃない?」…とかね…/笑)
話は戻りますが。 番組の内容に、 「もし、妊娠中に生まれてくるこどもが障害を持っているというコトが分かったら どうしますか?(産みますか?それとも…)」的な事例が上がって。 あたしは弱い人間だから…もし、生まれてくるこどもがダウン症とかの 知的障害者だった場合…堕ろしてしまうかもしれない。 番組の中で、韓国人の男のヒトが、そう言ったように…。 その時になってみないと分からないけど… …「生まれてきてくれるだけでイイ」って…其れってキレイゴトだと思う…。 生む側のエゴって言うか…何かさ、上手く言えないけど。 後天的な障害の場合、其れはもう、家族に与えられた試練として、 こどもと一緒に頑張っていこう、とは思うけど。 …先天的な障害の場合って…どうしても…考えちゃう。
産んだことで、そのこどもが傷ついてはいないか、 産んだ自分の自己満足なんじゃないか、 本当に、普通の『健常者』の子と何ら変わりなく その子を愛していくことが出来るのか。 …こどもが、生まれてきたことを後悔しないか、 親である自分が、生んだことを後悔しないか。
こういう全てのマイナス思考を…考えないとは…言い切れないでしょう。 『健常者』として生まれても、 『生まれてこなければ良かった』 『産まなきゃ良かった』 なんて互いに憎しみあって本気でそう思う親子はザラにいるのに…。
はっきり言って、あたしはダウン症とかの知的障害を持った方が苦手です。 怖いです。 もし街中で会ったら、意識的に傍を通ることを避けてしまいます。 ホントに、怖いんです。 知的障害を持ったヒトが。
過去、あたしが小学校低学年の時でしたが、 知的障害を持った同じ小学校の特殊学級に通う何年が学年の上の 女子に、いきなり暴力を振るわれたことが有ります。 勿論彼女にも暴力を振るった事情はあったのですが、 それは彼女を揶揄かった別の男子児童が原因で。 1年生だったあたしは偶然その場に通り合わせ、 癇癪を起こしたその障害を持った子に頬の皮が捲れるくらいに強く 抓られました。 ……多分それ以来、あたしは知的障害を持ったヒトが苦手です。 皆が皆、そう言うヒトでないのは分かります。 彼女だって、癇癪さえ起こしていなければあたしにそういうことは しなかったでしょう。 でも、一度根付いた恐怖心はそう簡単に拭いきれるものではありません。 あたしは多分これからもずっと、知的障害者への恐怖を持ち続けるでしょう。
この話をしている時、母は言いました。 『冷めた子だね』と。(母は、上記の過去を知りません) 確かにあたしは冷めているかもしれない。 でも、あたしが言ったコトはあたしの本心で。 障害を持ったこどもを堕胎するのを推奨している訳じゃないけど… もしもダウン症とかの知的障害を持ったこどもを産んだ場合、 あたしには育てる自信が無い。愛せる自信も無い。 きっといつも、周りの『健常者』のこどもを見て、 どうしてあたしの子だけって思う。 絶対思う。障害を持って生まれたこどもを憎むかもしれない。 そんな親にはななりたくないから。
自分のこどもには愛情だけをたくさん注いで、育ててあげたい。 憎しみのひとかけらも、与えたくない。
末妹の一言にも、頷いた。 『障害を持ったこどもを育てている親は、どこか他の親よりも 「自分は苦労している」と言う優越感のようなものを持っている』 と言う一言。 障害を持ったこどもの親を、全て非難している訳では無いです。 でも、一度でも…そう考えた事は無いでしょうか。 『他の家庭よりも自分は子育てに苦労している』 だとか、そういった事を、一度たりとも思わなかったと…言い切れますか?
差別はあるんだよ。 人間の、確実に根深いところに。
肌の色が違う・宗教が違う・言語が違う・国が違う・習慣が違う・文化が違う。
それだけで争いが絶えないこの世界で、 更に『健常者』と『障害者』の間には高くて分厚い壁があって。
誰の中にも、色んな種類の『差別』があって。 哀しいけれど、『差別』が無くなる日は、無いのだと思う。 だけど、『差別を無くしたい』と思うコトは出来るから。
自分の考える範囲で、出来る範囲で、『差別』と向き合って行きたいと思う。 『強い人間』に、なりたいと思う。 あたしはとても…とても弱い人間だから。
この日記を読んで、不愉快に思った方は多くいると思います。 自分勝手で自己中で、最低な日記だと、自分でも思います。 でもコレはあたしの中の真実だから。 其れを曲げる事は出来ないから。 奇麗事を書くのはとても簡単だけど、本音を晒すのは怖い事だから。 でも、それでも、此処はあたしの思いの吹き溜まりなので…見逃して下さい。
|