*未完成のお城*

1996年12月20日(金)  □■□良識派 安部公房を読んで□■□

●相手(ニワトリ)の弱み(イタチやネコからの危険)につけ込んで、言葉巧みに言い包めている。サギ師、ってカンジ。

●『オカシイ』と疑問をもっても、それがどう『オカシイ』のか立証出来ないし、周りはその『オカシイ』状態が『オカシクナイ』と思っているから、『オカシイ』と思った方が逆に周りから『オカシイ』と思われてしまった。この国でも同じように、少しでも他の人と違う事をしようとする人や、違う事を考える人は『普通』ではないと言っている。「じゃあ、“普通”ってナニ?」と訊くと、「そんな屁理屈を言うな」と言われる。『常識』や『普通』という言葉ほど、曖昧で強い言葉はないと思う。

●その人(少数派)が結果的にその時正しい事を言っていても、その時の状況や周りの人(多数派)の人が、「いや、それは違う」「間違っている」と判断してしまうと、その『正しい事』は『間違った事』になってしまう。そして後から「あの時ああしていれば」とかの悔いになる。バカみたい。

●『普通』ってそんなに大切なものだろうか。度を過ぎると迷惑だが、『普通じゃない』のを認めることが正しいとわたしは思う。

●日本人は『周りと同じでなければならない』という意識が濃い。制服や髪形などにも言える。だから日本人のやるコトは結局『物真似』でしかないし、個性を出そうものなら、他の人々から『アイツはオカシイ』『変だ』『普通じゃない』と言われる。それがイヤでみんな同じコトをしようとする。外国人はひとりひとり違う人だと分かるけど、日本人はみんな同一人物に見えるように。周りが『悪い』といえば『悪い』コトになるし、『良い』といえば『良い』コトになる。日本人ほど洗脳しやすい人種もないと思う。
日本人は、相手の個性を尊重することよりも、みんなが『同じ』であることを特に好む人種である。
…自分にもそれが言えるから腹が立つ。

これ(上記)は、国語の授業に感想として書いたモノ。


 < 過去  INDEX  未来 >


hinase