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| 2005年08月07日(日) |
| 60年 |
| 折鶴を燃やしたり、石碑にペンキをかけたり、削ったり。 個人の主張や主義なんて、ほんまに慰霊する気持ちに比べたら、 米粒の大きさにもならんて。 被爆者が年々亡くなられとる。 慰霊碑の下には、被爆者の名前が記された名簿が納められとる。 祖父も記されているし、祖母も記されることになるでしょう。 生き証人が居らんなったとき、 例え風化と評されても、語り継ぐことが大事なんよ。 60年が経った今、大多数の人の聖地を土足で踏みにじる行為や、 原爆をネタに茶化す人間が増えたのは、 残念ながら風化しとると思う。 今後のヒロシマの意味や役割を、 もっと広島人が考えていかんといけんね。 |