せきねしんいちの観劇&稽古日記
Diary INDEXpastwill


2006年01月21日(土) 富士見ギャラリー

 目が覚めたら、外が明るい。窓を開けたら、外は雪景色。雪がしんしんと降っている。やられた……というかんじ。
 今日は、富士見ヶ丘小学校に、富士見ギャラリーの展示を見に行く予定。
 富士見ギャラリーというのは、3年に一度の学内展覧会で、図工や書き初めの作品が校内に展示される。
 バスも電車もやっぱりというかんじで遅れまくり、予定よりすっかり遅くなって富士見ヶ丘に着く。駅からの道はほんとに真っ白だ。風も強く吹いていて、カサをさしても雪まみれになる。
 富士見ギャラリーの展示は、終了時間ぎりぎりということで、保護者の方々が何組かいるだけの静かな会場。教室に飾られた作品を、ゆっくり観させてもらう。
 これまでも図工室の前で見ていた作品が一同に集められているようすは、壮観だった。
 6年生のつくったランプ、スニーカーやランドセルの絵にコメントを寄せたもの、白い街の風景。オーディションのときに、フルネームをずいぶん見たので、作品ひとつひとつに子ども達の顔が浮かんでくるようになった。廊下に並べられた木馬もその人らしさがかんじられる。いや、この木馬から感じられるものが、その人らしさとして、彼らの印象に加わっていく。
 5年生の守護神シーサーのユニークさ。粘土でつくったシーサーに、背景が添えられ、シーサーの言葉が書かれている。ただ、単体としてでなく、こうした構成までされているのが、ほんとうにおもしろい。
 4年生の「ともだちキラリ」は、友達を描いた肖像画。ただし、背景は英字新聞だ。ただ白い画面に描かれているのではない奥行きが感じられる。また、そこにいる友達の表情の豊かさにも感動する。
 3年生の「カーニバルへようこそ」は、人形だ。紙粘土でつくった顔に長い胴体。そこに思いつく限りのさまざまな衣装が着せられている。そして、それぞれのタイトル。
 2年生の「おいしいよ、おべんとう」は、さまざまな素材を使って作られたお弁当。レストランのサンプルとは違う、素朴さと「これが好き」という気持ちが伝わる。プリン系のデザートが3つに2つは添えられていて、「プリン好きなのね」とほほえましい。
 1年生の「おしゃれなとり」は、去年の6年生がつくって、卒業公演の舞台を飾った飛び立つ鳥のカラー版。この間の授業のときも昇降口に飾ってあった。一つ一つの鳥の目が、とっても表情豊かだ。6年生の木馬もそうだけど、目って、ほんとに多くのことを語るんだなあとおもしろい。
 その後、吉祥寺に出て、買い物をして、コーヒーショップで一息ついて、外に出たら、雪は止んでいた。なんだか、一番大変な時間に外を歩いていたようだ。その分、雪を堪能した気分。
 下北沢へ移動して、燐光群の「スタッフ・ハプンズ」を見る。途中の井の頭線で川崎桜さんに声を掛けられて、話し込む。去年出演していたボタタナエラーのことなどなど。
 「スタッフ・ハプンズ」@ザ・スズナリ。デヴィッド・ヘアー作。
 911以降、イラク開戦までの、ブッシュ、バウエル、ブレアといった実在の人物達が繰り広げる政治劇。
 つい最近起こった、よく知っている政治的事件が、舞台の上で繰り広げられていることへの、微妙な不思議なかんじをまず楽しんだ。
 戦争は絶対に反対だという立場のパウエルの苦悩が、物語をどんどんひっぱっていく。
 見ていて、まるでラシーヌの悲劇を見ているようだと思った。まるで「ブリタニキュス」。ラシーヌの世界の人物は政治の話をしていても、大元にあるのは、権力への欲望だったり、情念だったりする。現代の政治家たちも、彼らをつき動かしているのは、ほぼ同じもののように見えてくるのが、恐ろしかった。そこには、民衆はいないから。
 最後に登場したイラクにもう何年も帰っていないという人物の言葉が重かった。「自分の国のことを自分たちでなんとかしないと、こういうことになるんだ」。
 民衆がいないままの政治家達のやりとりの最後につきつけられるこの言葉。
 終演後、坂手さん、工藤さんにご挨拶。青井さん、篠原さん、谷さんと中華屋さんで軽く食事。
 帰りの電車の中で、出演していた中山マリさんとばったり会って、芝居の話をいろいろ聞き、感想をあれこれ話させてもらう。


せきねしんいち |MAILHomePage

My追加