せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2001年10月14日(日) 高校演劇&フラジャイル「アナトミア」

 今日は朝から芝居漬け。
 昨日の夜の稽古の後、新宿に出てきて、タックスノットへ。
 その後、ラピスへ移動して、こたくんと二人で新しくオープンした「COCOLO CAFE」へ。
 二丁目のA(エース)の並びのとってもおしゃれなカフェ。
 ていうか、無国籍アジア料理がとってもおいしい。
 朝ご飯を食べて、オーナーの川口昭美さんに挨拶して外へ。
 日曜日の朝7時。明るすぎます。いい天気だし。
 その後、僕は、高校演劇の地区大会を見に、月島の晴海総合高校へ行くんだったんだけど、やや時間が半端なので、ウェンディーズで一緒に時間をつぶしてもらう。
 で、月島。ていうか、地区大会。
 もんじゃで有名な月島ですが、僕は初めてです。
 晴海総合高校は新しくできた高校で、とっても立派。
 会場になってる講堂もちょうどいい大きさでいいかんじ。
 僕の母校の都立小松川高校は2番目なんだけど、もしかして知ってる顔に会えたらうれしい!なんて淡い期待もあったんで、朝いちから来ちゃいました。
 でもね、知ってる人はだーれもいなかった。
 大体、高校演劇の地区大会自体がもう十年ぶりくらい。
 僕は、現役の頃から地区のスタッフみたいなことをやってて、卒業してからもなんだかんだとお手伝いしてた。
 だから、顧問の先生なんかもみんな知ってたし、その界隈の芝居をやってる人なんかとのつながりもあれこれとあった。
 だけど、もう十年も経つと、すっかり様変わりしてしまうのね。当たり前だけど。
 ていうか、同じ舞台を小松川の文化祭に見に行った時、受付にいた現役の子(演劇部)に「何年卒ですか?」と聞かれて、「昭和58年」と答えたら、「わあ、生まれた年!」って言われちゃったんだから。
 前に、こんなふうに地区大会に来たのは、小松川が都大会に出場したとき、演目は別役さんの「赤ずきんちゃんの森のオオカミたちのクリスマス」だった。
 裏の手伝いをちょこちょこしたり、ラストに空から降りてくる星球をつくったり、いろいろ関わらせてもらった。
 当日は、突然、ゴミ袋にいくつもの「枯れ葉」を舞台に敷き詰めたりして、緞帳が上がった瞬間に客席にほんとの「森の匂い」が降りてきたっけ。
 あのときの会場は、練馬の富士見高校。今はつかさんのところで活躍してる西沢周市先生に怒られた。直に枯れ葉を蒔くと土や砂がコンセントに入っちゃうから、地がすりしいてからにしてよって。当たり前のことなんだけどね、気付いてなかった。ほんとにごめんなさいだ。
 今日は、その舞台に出てたOBが来てた。
 芝居をやってたり、やってなかったり。でも、OB会のメーリングリストはとっても活発だ。
 小松川の芝居は、「光射す夢消えぬ間に」っていう創作劇(作・長南陽文)。
 背中に「巨大なほくろ」ができちゃった女の子が、友達に嫌われたくなくて、海に行けなくて、しかたなく、ホクロ研究所に行くんだけど、そこで、悪いやつらにねらわれてっていう、こう書くとほんと荒唐無稽なお話。
 でも、とってもおもしろかったんだ。
 終演後、少ししゃべったんだけど、文化祭の台本を、みんなで直して、三日前に完成したんだって。それってすごすぎ。
 ていうか、そんなふうに芝居を「生きたもの」としてやろうとしてる感覚がとっても素晴らしいと思った。
 納得のいかないものを、きっちり演じるより、少しくらい乱暴でも納得のいくものをやろうっていう心意気がね。
 何より、舞台上でのやりとりが会話としてちゃんと成立してるのがすばらしい。
 誰だかわからないところに話しかけてしまうのではなく、舞台の上で、語ってる相手にちゃんと届いてるセリフの気持ちよさ。
 当たり前のことなんだけど、なかなかできないことだと思う。

 で、午後3時開演のフラジャイル「アナトミア」。中野ポケット。
 オール明けでかなり「へろへろ」だったんで、壁際の「邪魔にならない」ところに座ったんだけど、もう完全にやられてしまった。もちろんいい意味でね。
 これはほんとに久し振りに「わあ、こういう芝居やりたい!」って思える舞台だった。

 大学の医学部、解剖学実験室の春から夏の初めまでの物語。
 解剖の実習に使われる死体(ライヘ)が運び込まれて、そして、骨になって運び出されるまでのお話。
 死体の一つがなくなる……、彼女はどこに行ったのか? というお話かと思うとそうじゃなくて、死体を巡る医学生と担当教官とインターンたちの人間模様って言ったらいいのかな。
 まずはじめにこの解剖学実験室は、その「臭い」のため周囲から煙たがらされてるってことがあって、その外界とのひりひりした感じがある緊張感を生んでる。
 教官の一人、梶の姉は、脳死状態でいるんだけど、今、妊娠中でその胎児は今も生きている。
 医学生の一人、神谷は同級生の成瀬との間に出来た赤ん坊を堕胎している。
 死体がなくなったことをマスコミにかぎつけられてしまったので、急遽、梶の姉の話を美談として売ることが決定する。
 実験室の入口のドアには、段ボール箱に入った防臭剤が山のようにつまれる。いやがらせだ。
 そして、梶の姉の赤ん坊は生まれる。
 全ての実習が終わり、ライヘは骨になり、骨壺に収まっている。
 最後の場面は慰霊祭。みんな喪服を着ている。
 一緒に姉の葬儀もしようという梶。
 骨壺を抱えた一人一人が退場していって、幕。

 僕はあらすじを書くのが苦手なんだけど、こんなにあらすじを書いても伝わらないと思った芝居もないです。
 何がよかったんだろう。
 もう、好きなんだよね、としか言えないくらい、好きな芝居です。
 でも、わからないことはいっぱいある。
 死体はどうなったのかとかね。
 でも、どうでもいいような気がする。
 だって、すっごいおもしろかったんだから。
 終演後、台本を買ってきて、読み返したんだけど、やっぱりわからなさは残ってる。
 でも、満足なんだよね。
 「死」っていうものを、こんなに見てしまう芝居って初めてだったからかな。
 「死」があって「生」があって、「性」もあるっていうのが、「はい、並べてみました」っていうかんじじゃなくって、きっちり描かれてたからかな。
 好きな場面はいっぱいある。
 この芝居の中では何度も地震が起こるんだけど(その度に天井から吊られてる電球が実にいい揺れ方をする)、一番大きな揺れの時、その場にいる全員が死体にとりつくんだよね。
 台から落ちないようにっていうのはわかるんだけど、それがどこか、死体にすがってるみたいに見えてね。僕の席からは、明樹由佳さんの後ろ姿が見えたんだけど、必死にとりついてるその姿を見てたら、どうにも泣けてきてしまってね、困った。
 梶が、脳死状態だった姉の死を語る場面もよかったな。
 それまでの芝居とはちょっと温度が違う、ややエキセントリックな語りなんだけど、人工呼吸装置のスイッチを自分で切って、姉の手を握ると、体温が一度ずつ下がっていく。その「一度下がった」っていうセリフのくり返しが、もうたまらなかった。「クーラーを止めてくれ」っていうセリフもね。
 つまり僕はかなり入り込んで見ちゃってたんだよね。   
 たとえば、劇中で雨が降るんだけど、その雨が僕には、ほんとの雨だって思えた。
 舞台に降る嘘の雨なんだってこと、ちゃんとわかってるはずなのに、外からやってきた人達がそこに降ってる雨に濡れてるんだってことが、なぜだか信じられて。
 変な言い方だよね。
 それが芝居の嘘だから、そのつもりでいつもは見てるはずなんだよね。舞台の上に降る雨っていうのは。
 信じさせようと思って、そういうふうな芝居をつくるんだけど、どこかで「芝居だから」って醒めてる。割り切ってる。
 そんなことわかってる僕なのに、でも、この舞台に、正確には舞台の外に降ってる雨は、楽屋で一生懸命、髪の毛を濡らした水じゃなくって、ほんとの雨なんだって思えてしまったんだよね。夏の初めの午後に降り出した。
 ていねいに説明されてるとは思えないそっけないセリフもずっと見てると実に用意周到に世界を組み立ててるってことがわかる。
 さもないセリフをとってもていねいにやりとりしているかんじがとってもいいんだな。
 役者さんたちは、明樹さん以外、全然知らない人達ばかりなんだけど、その明樹さんだって、いつの間にか、知らない人になっちゃってて、それもまた、芝居の中に入りこんでしまった理由かもしれない。入り込んでっていうのは正確じゃないな、きっちりと傍観してしまったっていうかね。
 きっと好き嫌いの別れる芝居だと思うんだけど、僕は好きだなあ。
 何より、ていねいにていねいに作られてるのがとっても気持ちいい。
 ブルーライトの中、スローモーションで転換される場面も、下手したら嫌味以外の何ものでもないのに、きっちりとうまくいってる。
 カーテンコールなしの舞台は、いつも「何で?」って気にさせられるもんだけど、今回だけは全然OKだった。
 僕は完全にノックアウトされた舞台です。
 今度はいつだか、わかってないんですけど、是非また行こうと思ってます。
 役者さんたちの名前は一人も覚えてませんし、覚えようともことさらには思ってないんですが、信じられる人たちばかりでした。
 って、ほめてばっかりですけども、ほんとに良かったんだよね。僕には、とっても。
 おすすめの集団をまた一つ見つけました。


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