今迄。そしてこれから。



 memo 南洋群島


「マンゴと黒砂糖」みたいな・・・・・。
すごいな。
ていうか、今年、絶対おさめておかなきゃいけないんじゃないかしら。

おじさんがサイパン生まれって、知らなかった。
告別式に南洋群島帰還なんちゃらって書いてった人がいたから
不思議に思ってたら・・・・・・。
生前に話、聞けばよかった。


旧南洋群島


現地訪問、今年まで 南洋群島帰還者会
4月8日14時35分配信 琉球新報


 南洋群島帰還者会(宜野座朝憲会長)はサイパン、テニアンなど南洋群島と呼ばれた島々で、太平洋戦争中、日米の地上戦の犠牲になった県出身者の慰霊を目的に現地を訪ねる南洋群島慰霊墓参団を、40回目のことしで終えることを決めた。南洋帰りの帰還者会員らの高齢化で運営が難しくなったことや、参加者が年々減少したことが理由。墓参団として慰霊を主目的に、チャーター便を確保して団体で現地へ赴く旅は今回が最後となる。
 この方針は、3月21日、宜野湾市で開かれた同会の例会で承認された。来年以降は親善交流や観光などを盛り込み、希望者が慰霊祭を開く。宜野座会長(79)は「参加者が年々少なくなり飛行機のチャーターができなくなってきた。会員も高齢になり、車いすや寝たきりになっている」と、無念な面持ちで語った。
 墓参団は1968年5月、南洋からの帰還者や犠牲者の肉親ら約55人が初めて現地を訪問し、サイパン島北部に慰霊碑「おきなわの塔」を建立した。当時親交のあった現地の人々を慰霊祭に招いて以来、現地の人々も毎年慰霊祭に参列。サイパンとテニアンにある沖縄出身者の慰霊碑は、北マリアナ政府観光局などが清掃・管理し守っている。
 墓参団には33回忌の76年、約1100人が参加したが、この2、3年で参加者が減少し、昨年は90人だったため、チャーター便をキャンセルし、名古屋経由で渡った。帰還者会の構成団体の一つサイパン会の平良善一会長(79)は「南洋帰りの孫ら若い世代に会をつなげる方法を何とか考えたい」と話している。
 ことしは5月26日から29日まで、約150人乗りのチャーター機を確保し、サイパン、テニアン、ロタ島を訪ねる。帰還者会は参加者を募集している。問い合わせは国際旅行社(電話)098(867)2121。

<用語>旧南洋群島
 1914年に第1次世界大戦が始まって間もなく日本海軍に占領され、太平洋戦争中の44年に米軍が占領するまで、約30年間日本が統治していた。日本の南進の拠点となっていた「南洋興発」による製糖業を中心に、多くの沖縄県出身者が渡航し、40年には約5万人の県出身者がサイパン、パラオ、テニアンなどに居住。44年6月から8月にかけて日米の戦闘があり、旧厚生省によると12島で、1万2826人の県出身者が犠牲になった。


●1年前の記事
平和希求、胸に 南洋群島慰霊墓参団が出発2008年5月25日
名古屋経由でサイパンに向けて出発した南洋群島慰霊墓参団の結団式=24日午後、那覇空港国内線出発ロビー
 太平洋戦争当時、南洋諸島で犠牲になった県出身者を供養し、平和への願いを継承しようと、第39回南洋群島慰霊墓参団が24日午後、名古屋空港経由でサイパン島へ出発した。昨年まではチャーター機を利用し、最大で1200人(1976年)参加したが、高齢化のため参加者が年々減少。今年は国内線を乗り継いで定期便で向かうことになった。参加者数は初めて100人を割り、現地で合流する人を含め、過去最少の90人となった。
 那覇空港で行われた結団式で、団長の宜野座朝憲南洋群島帰還者会会長(77)は「1968年の慰霊碑建立から40年がたつ。今年は残念ながら90人の参加となったが、慰霊祭でしっかりと親類や肉親の供養をしよう」とあいさつした。
 参加者の減少について、安里嗣淳事務局長は「帰還者もどんどん高齢化し、参加者は年々減る一方だ。ハワイなどのように現地で交流できる県関係者がいるわけでもなく、墓参団の在り方を検討していかないといけない」と語った。
 一行は26日にサイパンで合同慰霊祭に出席。27日にはテニアンでも慰霊祭が行われる。現地の関係者らとの交流会も開かれる。


●1年前の記事
平和へ誓い新た 南洋群島墓参団、39回目の慰霊祭2008年5月27日 「第39回南洋群島沖縄県出身戦没者ならびに開拓殉難者追悼式」が26日、北マリアナ諸島サイパン島マッピー岬にある「おきなわの塔」の前で開かれた。沖縄からは現地で合流した人を含め96人が参加。現地の住民と合わせると約150人が参列し、戦没者や開拓殉難者の霊を慰めるとともに、平和への誓いを新たにした。
 塔の前には果物など多くの供え物が置かれ、参列者は手を合わせ、深々と頭を下げた。中には涙があふれ目頭を押さえる人の姿も見られた。
 南洋群島慰霊墓参団の宜野座朝憲団長は「戦後63年たっても1万2000余の柱が眠る塔を手入れしている現地の方々に感謝する。私たちが今あるのは(1万2000余の)皆さんのおかげだ。来年も来ます」などとあいさつした。
 この後、県や県遺族連合会の代表、現地代表らが献花した。
 同日夕にはサイパン島のハファダイビーチホテルで、ファン・B・トゥデラサイパン市長らも参列し「親善交流の夕べ」を催し現地の参加者らと親睦(しんぼく)を深めた。
 27日にはテニアン島カロリナス台地の「沖縄の塔」で「テニアン島沖縄県人戦没者追悼式」を開く。



●3年前の記事
積もる思い胸に出発 南洋群島墓参団きょう追悼式2006年5月29日
結団式に参加する南洋群島慰霊墓参団の団員ら=28日午前8時40分ごろ、那覇空港
 南洋群島慰霊墓参団の一行137人が28日、那覇空港から特別機で空路サイパンに向けて出発した。29日には、現地で第37回南洋群島沖縄県出身戦没者追悼式が開かれる。
 同空港国際線ターミナル内で開かれた結団式で、団長の宜野座朝憲南洋群島帰還者会会長は「今年は42人の戦後生まれも参加する。高齢化で子や孫への(慰霊祭の)引き継ぎが責務になっている中で、うれしいことだ。戦後61年目の今回も粛々と慰霊祭を行い、現地の人たちとの交流も深めたい」とあいさつ。県遺族連合会の仲宗根義尚会長は「継続的に参加されている方はシーミーに行くような気持ちで、初めての方は積もり積もった報告をみ霊にしてきてください」と激励した。
 墓参団の見送りに訪れた県の嘉数昇明副知事は、テニアン島にある慰霊碑「沖縄の塔」の銘板などが壊された事件に触れ、県からの見舞金として5万円を宜野座会長に手渡した。
 サイパンで生まれ育ち、沖縄に引き揚げる際に7歳だった長男を病気で失った玉城ヒロ子さん(86)=今帰仁村古宇利=は、車いすで初参加した。「サイパンで眠る人たちに何を話すかは、着いてみないと分かりませんね」と話し、61年ぶりに訪れる“第二の故郷”に思いをはせていた。


2009年04月08日(水)
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