今迄。そしてこれから。



 嗚呼京の都。



修学旅行が近いです。6月です(まだじゃん・・・・!)
もうかなり楽しみです、ヤバイですだって、だって

華の京都ですよ!!!???


嗚呼素敵すぎ・・・・・+
っていうか新撰組ーーーーーーー!!!!!(叫)

京都では自由行動できてしかもタクシー一班ずつチャーター(喜喜)
しかも計画は自分たちで立ててよし!!坂倉と同じ班なので皆と比べて

物凄くマイナーな私達の班の計画


(笑)
だってー行きたい所沢山だもの!!(ぐっ)
早く行きたいーーーーー!!!

*

そういえば、今日土曜なのに学校ありました・・・(沈)
GWの為とはいえ、少し厳しいのでは(泣)

*


私は子供って嫌いでもないけど断じて好きでもない。あの不器用さが好きじゃない。人ととの付き合いの、あの不器用さが許せない。そういえば、インストールを著された作者さんも言ってたなぁ「不器用」が嫌いって。それは共感。かなり。この不器用って例えば料理ができないとか裁縫ができないとかそういう「不器用」では決して無くて、ましてや意識して他人からツッコれるのを待ってみたりわざとおどけて見せたりする見せかけの「不器用」とも違う。アレは「天然の不器用」なのだ。私は不器用な人間は好きではない。もちろん面と向かってそれを相手に言うなどということは決してしないけど。心の奥底では神経がキリキリとしている。今の所、私には本当に本当に心許せる友というのは2人いる。人生の中で1人いるかいないかというこの「友」が2人もいるというのは、ひどく幸せなのだと思う。ただ、本当にそうなのかは定かではないのだけれど、少なくとも私は今そう信じているのだから、それでいいのだろう。不器用っていうのは恐い。相手が嫌がっていることにさえ、気付けないのだ。相手がどんなに神経を研ぎ澄ませていても、ソレに気付いてくれない。私はそういう人と一緒にいるととてつもなく疲れてしまっていけない。精気を一気に吸い取られてしまった感じになってしまう。どどどっと闇に落ちてしまう。辛いことに、私の身の回りにはそういう「不器用」な人は結構居る。ただ、気付いていない。(だから不器用なのだろう)知らせてやろうにも、そんな義理はないと考えてしまう所私も強ち不器用な人間なのかもしれない。教えてあげる間にもその人達の話しに付き合わなくてはならないかと思うと気が重くなる。胃が悲鳴をあげる(もともと胃は強くない)結局、相手にしない方が一番楽なのだ。


毒舌ーー。

(死)

ただね、うん。
私がいまこう思ってるのはそれなりに、理由あるんです。
(相手を知らないうちに嫌いになるとか
先入観だけで人を決め付けてしまうっていうのは
私の最も嫌いとする所なので。)
別にいきなりって訳でもないのです。



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私の一番の心の大事な友達は。
空が好きな子
てふてふが苦手な子





2002年04月13日(土)
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