にあ日記
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酒と薔薇の日々(目次の★は更新分)酒(過去)薔薇(未来)


2004年10月12日(火) 「成り上がり」論

昔から自分には漠然と「こうありたい」という姿があって、
それはあくまで「漠然」としているのですが、
いわゆる「このままじゃ終われない」という成り上がり願望に通じるのです。
しかし私の周りにはそういう欲がない人が結構多い。
別にリーマン否定ではなく、リーマンがいいっていうのもわかるんだが、
「もっと役付きとか、金持ちになりたいとか、ヒトの上に立てなくても
何か残すとか、ないの?」と聞いても「ない」というのがなんか不思議だった。
さて、こうしたわしの考え方から最近仲間内で成り上がり是か否か議論勃発。









以前、飲み知り合いの映像ディレクターと某社社長がそろったときに、
「成り上がりたいと思ったことはあるか?また今でも思うか」
と聞いたところ、二人とも「思ったことはない、今もない」と。
その後ディレクター曰く、
「成り上がりたい根性なんて、吼えているだけで意味がない」
といわれたので、ここでまた「成り上がりたい派」の自分は反論。
「成り上がりたい根性は口に出して言うモノに限らないのよ。
ただ一般的な人がここでいいやって向上心がないのが疑問なんだよね。
例えば作家なら賞とりたいとまで言わなくてもいいけど、
自主製作じゃなく平積みになりたいとか思わないのかとかさ」と返したら
「自主制作でもやりたいことだけやれてそれで食えたら俺は満足。
成り上がるなんて吼えるなら平積みになってから言えと思う」
「成り上がりたいって思うことが力になることもあるしそういう人間もいる」
話は我がお気に入りの助監督の話にまで至り、
「所詮アングラじゃ食えない。悔しかったら商業映像とってみろ」
「でも監督はきっちり賞も取ってるし名前はメジャーだし食えているは
ず、その下にいる人間が自分の才能信じていたら同じ世界で成り上がり
たいと思うのは自然では?」
「○○(監督)食えてるかぁ〜?所詮アングラ界だし。
仕事なら食えてからいうのが、成り上がるよりまず基本でしょ?」
「いや、いきなり上を目指すのも方法論としてはありだ」
といったやり取りが続いた。

正直、競争心はないんだよね。「自分」だけなんだよ大事なのは。
比べなくても自分が高みにいけたら回りは関係ないのだ。
(踏み付けということではなく、もっと上がいていい)
こう言ったら「『成り上がりたい』『認められたい』には必ず他人が絡む」との反論をいただきました。
いやそれはわかっているって。
じゃあもっと噛み砕いて言うと「認めてほしい人に認めてもらいたい」ことが大事って言えばいいのかな。

多分この「もっと上に」思考は自分の根っこだから変われないんだろう、
本当に自分が思う上に行くまで。




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