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2005年05月10日(火)
理解は誤解かもしれないこと
 小説にもギターにも、ましてや参考書にも触れる気が無いとき、銀色夏生「庭を森のようにしたい つれづれノート(13)」を手に取っている。


 「誤解されることはとてもやるせないことだけど、そういえば、世の中は、誤解されないことのほうが少ないようなものかもしれない。他人に正当に認められないからと言って、がっかりするのはやめよう。他人に正当に認められようと望むことこそ、甘い夢だ。きっと人は人のことをほとんど誰もわからない。
 そして、ちゃんと自分を見てくれた人から、けなされすぎもせず、ほめられすぎもせず、ちょうどよく自分を認めてもらった時には、本当にうれしいものだ。」


 僕も、他人を誤解してないことの方が限りなく少ないのだろう。相手を少しでも分かったつもりになって得意になるのではなく、分からないという現実を認めて踏まえながら、それでも放たれる相手の個性を大切に掴みたい。


 ベランダの防護ネットを全て取り除いたら、容赦なく鳩が集って困っていた。けれど、手摺りのすぐ上にテグスを張ったら鳩は来なくなった。これで夏には隅田川の花火大会をベランダで存分に楽しむことができる。防護ネットで9階からの眺望を損ねている隣人に勧めたいくらいだ。


 消費したものをリストにして笑みを浮かべるのではなく、自ら生産するものを胸中で静かに誇りにしていく意志を持てたら、僕の文章はもう少し良くなるのかも知れない。 //


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