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2007年09月15日(土) どこにでもあるような家族の肖像


昨日は仕事が夜10時くらいまであり、疲れきったリーダーが「よし、飲んでくぞ!」と一言。私も疲れてキレ気味なのでついていきました。でも私以外みんな男だったせいか、なんか話題が次第にかなりエロスになってきて、途中で帰りたくなった…。そーいうとこ、ちょっとは配慮をしてほしいものだ。
でも結局終電まで飲んで、情けないことに電車で一駅ねすごして、さいごはタクシー。
タクシーは運転手が超無愛想だし、運転が乱暴すぎるし、深夜割増料金だし、怖かった。なんというかこんなおそろしい乗り物に乗らなければならないこと自体が飲んだくれていた自分への罰であるような気がしました…

そんなグダグダだったので家に着いたのが2時前で、寝たのが3時過ぎだというのに、今日は7時起き、朝から父方の家族総出で祖父母の33回忌&23回忌。酒の抜けない頭に朝日がまぶしかった…。

父とその姉4人、5人姉弟の夫婦と孫たち5人で、総勢15名が集合。そんだけそろったのは私が6歳のとき以来ですなぁ、たぶん…。
叔父叔母は、アル中の画家や、社長や、釣りと浮気に精を出して今や枯れきってる人や、定年退職して趣味の漢詩翻訳に全力を傾けてる人などいろいろいて、話がおもしろかったです。ひさしぶりの人が多かったため、私はビールとか飲んでるだけで成長をしきりに驚かれましたが、昔の私は「背が小さくてガリガリで、いつも怪我をしてどこかに必ずギプスをしていて、それなのに姉のすることについていこうと必死で、態度がシャープで気が強くて、なんか見ていて痛々しかった」そうです。痛々しいとかってちょっと悲しいな、おい…

祖母はわたしが産まれるずっと前に亡くなってるし、祖父もわたしが2歳くらいで亡くなったのでまったく記憶はないんですが、今日叔父叔母の話を聞いてたら、なんだかふたりともすごく立派なひとだったようでした。
私は見たこともない祖母がとっても気になるのだけど、それというのも自分の顔が祖母にものすごく似ているためです。他の場合は親戚に似ていると言われても自分じゃ「似てないだろー」と思うのに、こればかりは認めざるを得ないほど、写真でしか見たことがない祖母には似てる。うーんわたしもこうやって老けていくのだろうか…と思うとちょっと怖い。
私もぜんぜん美人ではないし、写真でみる祖母もとても美人とは言えないのだけど、今日叔父たちが「おかあさんはほんとうにきれいな人だった!」「4姉妹の誰より美人だった!」「俺なんか最初にかけてもらった一言をまだ覚えてるぞ!」と口々に言っていたので、おいおい、これは私もちょっと今後に期待してもよいのだろうか!?と思った……!
でも顔がというより、毅然としていて公平で真面目な雰囲気がある人だったそうだから、そういう内面の美しいとこが外側ににじみ出てたんだろうな…わたしはこのままではきっと無理だ……うぅ……


こればかりはネットで調べてもどうにもならないので、祖母マツエさんについてわかることをまとめてみました。

1906年、室蘭生まれ。北陸から北海道へ移住した家系。高校で単身、親族の家に身を寄せ、外国人の教師がいて当時はめずらしかった金沢のミッション系の女学院に通う。
その後のしばらくマツエさんが何をしていたのかはいまいち不明ですが、兄弟を頼って東京に働きに出てきたらしい。そしてどういう経緯があったのか、結婚前に子供がひとりいる。ちなみにその子は手元で育てなかったのか、その後のマツエさんの人生にはあまり現れない。大きくなってから書生として何年か父たちと暮らしたことはあるらしい。(親戚内でも存在が忘れられていたようですが、その何十年後かに高校生の私が、警察から「アパートで孤独死しているところが発見されたのですが、ご親族の方ですか」という電話を受け、それまで未知だった叔父の存在にショックを受けることになる。)
29歳で、祖父と結婚。経緯はやっぱり不明ですが、ふたりは神楽坂で出会ったらしい。ちなみに当時の神楽坂は花街なので、ますます謎。そして祖父は新潟から東京に出てきて本屋の店員や小学校の教師をしており、結婚当時23歳という、微妙な年の差。
その後マツエさんは30歳から42歳まで、12年かけて3年おきに5人の子供(女4人に男1人)を産む。生来病弱だった祖父が肺の病で倒れ、戦争には行かなくてよくなったものの、寝たきりで仕事も出来ない。そのためマツエさんは子供の面倒も見つつ、裁縫をして家計を支えることになる。戦中戦後の厳しさもあり、生活は貧困の極み。子供はみな栄養失調になり、娘ふたりは腎臓を悪くし、ひとりは一時的に目が見えなくなった。
戦後しばらくすると、病気の治った祖父が知人10人と始めた小さな会社が軌道に乗る。それからは暮らしも楽になり、娘も全員嫁にいき、息子も働きはじめ、平穏な日々を送る。特に健康に問題はなかったようだが、1974年2月のある日、こたつで眠ったまま脳卒中で逝去。68歳。

以上、明治生まれの女の一生。
うーん、わからないところが多すぎるのが悔しい。
孫なのになぁ。


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