|
2003年08月24日(日)
昨日の日記に続けて。
感動について考えてみる。
もともと私は感動の薄い部類の人間だ。
とは言え、映画や小説を見てホロリ、なんて事もよくあったりする。
しかしそれは登場人物に共感したり雰囲気に酔っているだけで、ストーリーに感動している訳ではないような気がする。
以前、こんな事があった。
ある友人がとある作品のサウンドトラックをフル・オケーストラで演奏するというイベントに参加した時、感動のあまりに大泣きしたのだという。
それを聞いた私は、「なんか違う」というような印象を覚えた。
確かに、自分の大好きな音楽を生で聞けるという経験は、何よりも変えがたい素敵な事なのかもしれない。
でも、泣くほどの事か?
また受験やら試験やら大会やらで思い通りの結果を導いた人達が涙する、というのも、ありがちなシチュエーションではあるが私には理解出来ない。
そういうのを、頑張った経験がないのだから仕方がないのかも知れないが。
狂喜乱舞するならともかく、涙が出てくるっていうのは本当に理解出来ない。
そもそも、感動イコール涙という公式が間違っている気がする。
例えば、涙・汗・流血等はフィクションの世界ではそれを見ている第三者に強い印象を与える為の、いわばアクセサリーとして使用される事が多く存在する。
しかしそれは、あくまで作り話の世界の出来事だ。
現実世界では適用しない、過剰反応である。
そういう風に考えている私は、人の「感涙」を一つのポーズとして受け取ってしまう傾向がある。
ああ、この人は今、「感動して涙する自分」に酔っているんだな、と。
故に、自分の知り合いが感涙している場面を見るのは、何とも残念だ。
もしかしたら、私はつまらない人生を送っているのかもしれない。
でも私は、感動して涙を流すような人間にはなりたくないな。
私の理想はもっと超然とした人間だ。
人によっては、そういう人間像は無味乾燥と捉えるのかもしれないけれど。
ま、こういうのは人それぞれなんでしょうね。
|
|
|