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2003年08月18日(月)
私は人と会話する時、相手の目を見ないようにする傾向がある。
人の目を見て話すのには、エネルギーがいる。
疲れていたり、集中力が散漫な場合は人の目どころかその人物が出来るだけ自分の視界に映らないように、映らないようにとしている時さえある。
これだと不都合だ。
人の顔が覚えられない。
それ以外にももっと不都合な事があるだろう、と突っ込みたい気分の人もいるかも知れないが、今の処、私が不都合に感じているのはこの一点のみである。
何故、私は人の目を見ないのか。
自分でも確かな事は分からない。
ただ、人と目を合わせた瞬間、肺の辺りに不快感が走る。
生理的な嫌悪感。
たとえそれが友人でも、恋人でも、家族でも、少なからずストレスを感じる。
よく知らない人に見つめられた場合、「なんて失礼な奴だろう」と、心中で腹を立てている事もしばしばだ。
会話に集中していると、稀にその不快感を忘れる事もあるにはあるのだが、すぐにまた落ち着かなくなって目をそらすのが常だ。
そもそも、私は見つめるのと、見つめられるのと。
どちらが厭なのだろうか。
どちらも同じくらい厭な気がする。
いや、やっぱり見つめる方かな。
目が合って、厭な気分になって、その自分の不快感を相手に悟られるのが嫌だから、見られるのも嫌う……と云うパターンが多い気がする。
無け無しの思考力をしばし稼動させてみた。
あまり公に認めたい事ではないのだが、私は「自分に自信は無いけど、プライドだけは人一倍高い」人間だ。
目は口ほどにものを言う とでも言おうか。
目を合わせる事によって、私自身の未完成さを見抜かれてしまう。その事への恐怖感故に、私は人の目を恐れているのかも知れない。
しかし、その自信の欠如から来る恐怖を相手に知られる事自体、私のプライドを大きく傷つける事柄だ。
だから私は人の目が「怖い」のでは無く「不快」だと認識するのだろう。
さて、こういう判断を下したからには改善方法を考えねばならないものなのだが。
どうすればいいのかさっぱり思いつかない。
考えているうちに面倒になってきて、このままでいいや、と思えてくる。
私の胸の隅っこの方では、そういう未処理の問題点が、いくつも山になって埃をかぶっている。
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