スコヤカな時間
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駅が新しく生まれ変わる。 去年くらいからかなぁ・・・、工事が着々とすすんで 今月には古い駅舎も完全に取り壊されるらしい。 ちらっと見ることができる新しい駅舎はそれはモダンな感じのガラス張り。 そういえば、このあいだ見た札幌駅や高松駅なんかと似てる気がするなぁ。
駅前再開発計画と伴ってのこの新駅舎、それに刺激されるかのように 駅前にもいくつかの新しいお店がオープンしているらしい。
新しいもの。 お洋服でも靴でも何でもそうだけど、手に入れるととても嬉しい。 新しい建物だと、中に入るのもウキウキだし、ワクワクする。
古いもの。 新しい物にはない、思い出や時間がしみ込んでいる。 それに気が付いたときに、どうしようもなくいとおしくなったりするものだ。
取り壊される直前となる今まで、そういえば駅にはどんな思い出があるなんて ぜーんぜん考えても見なかった。 高校生の頃、よく友達が乗るJRの時間までって待合コーナーのようなところで ジュースを飲みながらいろんなことを話したなぁ。 久しぶりに駅に行った時に、その待合コーナーに並んでいたたくさんの椅子が撤去されてて びっくりしたけど、ちょっと寂しく感じたんだ。 変わってしまったんだなぁって。
で、今感じてるこの感傷的というか寂しい気持ちは、その時とは比べものにならない。
たしかに、時代遅れといってもいいような冴えない感じの駅だけど それはそれでなかなか味があるものだ。 特に、駅正面の大きな丸い時計は、駅のシンボル的存在で、あれがなくなるのは寂しい。 「駅に残して」という声もあがってるようだけど、 新駅舎のデザインにそぐわないということで取り外されるらしい。 その後は、どうなるのかわかんないけど、そういう声があがるのにもうなずける。
ぜんぜん話は変わるけど。 ずーっと議論されながらなかなか着工まで踏み切れないものがある。 港にある埋立地に、娯楽施設を作ろう!という計画だ。 水族館を作ろうだの、遊園地を作ろうだの、いろいろ声はあがったけど いまだに、計画は宙に浮いたまま。 このご時世だから、なかなか巨大投資事業をはじめるのにも問題があるだろうけど。
で、その計画の中に、巨大観覧車を作ろう!という案があった。 函館山のふもとにはたくさんの坂があって(当たり前だけど) その坂の中でも、八幡坂から見下ろす景色は、ポストカードになるような絵になる風景だ。 それで、もしも、観覧車を作ったらどうなるんだろう・・・とシュミレーションしたら 八幡坂から見下ろす景色の真ん中にどーんと観覧車がある!ということで この景色を守りたい!と反対の声があがって、計画はまた白紙に・・・。
時代の流れとともに街並みが変わっていくのは仕方ないと思うけど それでも守りたい風景などもある。 きれいだからとか歴史があるからとかだけじゃなくって、 思い出や愛着などなどがあるからこそでもある。
こんなことをふと考えたら、私はこの街がとても好きだということに改めて気が付いた。
自分の住む街を好きだって思えること、そしてそういう街に住んでいる私は。 実はとっても幸せなんじゃいかなぁって思えるのである。
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