同じ空の下で。
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2004年04月02日(金) プロフェッショナル

ワタクシの目から見て学校の教師というものは、
二極化されているような気がする。まぁ、大げさに言ってだが。。
それは、本当に一生懸命にやっている人と、
いわゆるサラリーマン教師。

皆それぞれ、「教師」とい仕事に何かしらのモノを秘めて
この職についたと思うのですが、
いつの間にかそのモノがどっかに行ってしまうのかも知れませんね。。

誤解の無いように言っておきますが、
先ほどにも述べたように、本当に一生懸命の先生も多いです。
何かと、一部のふとどき者のために、叩かれることが多い職業だとは
思いますが、それはほんの一部です。
ワタクシの周りにも見習うべき先生方も沢山います。

さて、話を戻すと、、
こころに秘めたモノがいつの間にか弱くなったり消えてしまったり、、
それはナゼなのかと。。

考えると、それは「プロ意識」の欠如なのかと思う。

「プロ」という言葉から想像されるものというと、
恐らくはスポーツ選手なのかもしれません。
しかし、報酬をもらってそれを生活の基盤にしているという事実を考えると
当たり前のことですが、社会人は皆、プロであるはずです。

銀行員は、銀行業務のプロ。
車のディーラーは、車を売るプロ。
コンビ二の店員は、コンビ二のプロ。
もちろん、サッカー選手は、サッカーのプロ。

で、同じように教師は教育のプロ。

「教育とは何か」という話はまた論点が変わってきてしまうので
ここでは飛ばしますが、、、
学校で「先生」と呼ばれている以上、
教育のプロでなくてはならないと思うのです。

そして、プロである以上、
われわれの顧客である生徒(または児童)を満足させなければ
お金を貰ってはいけないはずです。。

満足させる手段としては、もちろん授業であったり、
日々の生徒との関わりであったり。

常にプロ意識を持ってやっていれば、
こころに秘めたモノが薄れていくということはなくなるでしょう。
まぁ、それが難しいことなのかもしれないですけどね。。。

まぁ、教師の仕事で一番基本は教科指導なので、
まずは、それに磨きをかける次第であります。えぇ。






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