同じ空の下で。
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2003年08月27日(水) 英語教育

なんやかんやで、忙しいのやら忙しくないのやらのたけです。
こんにちは。学校の先生ってどんな服装したらいいんですかね?


今日は、というか、いつもなんだけど、
文の構成を考えずに書き殴ります。


テーマは英語教育。
と、いうのも定期読者様方はご存知かと思いますが、
いよいよ教壇に立つことになったので、
今一度、自分の英語教師としての目標と言うか方向性を
確認したく、今日はこのテーマ。


まず、僕が人に英語を教える時の方向性は、一言で表せば
「その人が英語好きになること」である。


あまりにも漠然としていて、
あまりにもおこがましいことかもしれないけれど、
僕が英語を教えるときは、このことを常に考えてやっている。


何故かと言えば、簡単で、僕が英語が嫌いだったから。
嫌いなものはやりたくないし、つまらない。
必然的に、テストの点数も落ちるだろうし、そうなりゃ余計嫌いになるだろうし。


塾の講師とは違って、学校の教師と言うものは、
生徒のテストの点数に大げさに注意を払わなくても良い職業だと思う。
塾の講師は、生徒の成績を上げて何ぼの世界であるが、
学校の教師は、そうではない。


前者は、点数をあげるという簡単なプロセスから英語にアプローチする
存在であり(もちろん違う場合もあって、実際に僕は塾で行っていた)
後者は、生徒の知的好奇心を刺激するというプロセスから英語に
アプローチすることができる存在だと思う。


つまり、英語の授業で生徒の知的好奇心を刺激してやることで、
英語を好きになってくれるような授業をしたいのである。


具体的にどのような意味かと言うと、これまた簡単に言ってしまえば、
、、、簡単に言ってしまえば、、、日本語で簡単に言え無そうなので
英語で書いてみると、

Learning English(Language) is not learning itself
but learning it as a tool for our life.


英語に限らず、日本語を含む言語を勉強することは、
その向こうに、道具としての言語があるのです。
もちろん、生成文法を始めとするいわゆる言語学という分野を専門にしている
ごく一部の方々は英語(言語)を英語(言語)として研究しています。
しかし、われわれ一般人はそんなことはやる必要はないのです。


われわれ一般人が勉強する英語の目的は、
言語そのものではなく、それを自分たちの生活に活用できるように
英語を道具として得ることだと思うのであります。


噛み砕いて言えば、イギリスのサッカー雑誌・ファッション雑誌を
読みたいから、だとか、ベッカムにファンレター書きたい、だとか、
英語で詩を書いて歌いたい、だとか、、、、、
とにかく、どんなことであれ、英語は自分の欲求をみたす
道具であると思うのです。


「この日本語を英語に変えなさい」という問題を生徒にやらせるのなら、
「ベッカムにファンレターを書いてみよう」とか「ブッシュに文句を言おう」
ということを生徒にやらせたい。
もしくは、常に何故「この日本語を英語に変えなさい」という
問題をやるのかを生徒たちに伝えて行きたい。


「みんなが英語好きになる」ようにね。








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