同じ空の下で。
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2003年02月02日(日) 堅い話です。本日は。「わかる授業」が「最高」か?

こんにちは。本当は寝ないといけない時間なのですが、
ちょっと、気になるニュースを見つけたので、
メモ書き程度に日記更新。


文部科学省が、4日発表した「2002年度版文部科学白書」の中で
学力について「全体としておおむね良好」と評価しながら、
「基礎的・基本的な知識の習得や思考力や表現力」に課題があると指摘した。
それを受け、「わかる授業」への工夫が必要であると言っている。


また、この他に、
高いレベルの学力を持つ子供の割合が少ない、
勉強は大切だと認識しているが、必ずしも好きだとは思っていない
学ぶ習慣が必ずしも身についていない
といった課題も挙げた。


これらの問題点を解決するために、
習熟度別指導に積極的に取り組むことや、
モデル授業などによる指導法向上、
教材開発などが必要だと指摘している。


さて、、僕が注目したい点は一つ。
今、子供たちに必要なのは、「わかる授業」なのだろうか?
そのための、「指導法向上」「教材開発」は本当に必要なのだろうか?


おそらく、「指導法向上」「教材開発」は必要なことであろう。
しかし、それは「わかる授業」のためではないと思う。
そもそも、「わかる授業」が本当に「最高」の授業なのか??


「基礎的・基本的な知識の習得や思考力や表現力」という所に着目したい。

昔から、日本の教育体系は「詰め込み式」と言われることが多い。
おそらく、これは正しい表現なのではないだろうか。
その「詰め込み式」教育の結果として生まれたのが、
「自分で物事を考える、もしくは判断する力、つまり「思考力」の欠如
なのではないかと思う。
それは、ずばり、文部科学省が認識しているとおりである。


「思考力の欠如」を生むであろう「詰め込み式教育」を
まず何よりも、考え直さなければならないのは事実ではないだろうか。

では、「わかる授業」は「詰め込み式教育」を打開する、、
つまり「思考力を育てる」授業でありうるか?

僕の意見は、「NO」である。
「わかる授業」とは、ある意味において「わからせる授業」であると思う。
教師は、分かりやすいように説明し、子供たちを納得させる。
そこに、なぜ?どうして?などといったことを考えさせる機会が
多いとは考えにくい。(もちろん、実行している教師も多いだろうが。。)


例えば、「太陽は東から昇って西に沈む」という普遍の真理を
教える機会があるとしよう。
おそらく、「わかる授業」を試みる教師は、太陽の模型と地球儀を
持ち出したり、黒板に図を書いたりして、
子供たちに「わからせる」ように授業をするかも知らない。


一方で、「考えさせる」授業をする教師は、もしかすると、
同じように地球儀を持ち出しても説明などしないかもしれないし、
もしくは、「じゃぁ、なんで西から太陽は昇らないの?」といった
質問をするかもしれない。


どちらが、優れている授業であるかなどといったことは
ここでは一切述べないし、そんなことは分からない。

が、授業の「方向性」を「子供たちに考えさせる」という様に
定めるのであれば、明らかに後者の方がベクトルにしっかりと乗かった
授業になる。

そして、そのような授業こそ「思考力」しいては「表現力」を
伸ばす授業なのではないか。

もちろん、「考えさせる」授業が全てではないだろうし、
いろいろな弊害も生まれてくると思う。
また、教師が華麗に舞う授業もそれはそれで面白いと思うし、必要なことだろう。


ただ、課題がはっきりと分かっていて、
なおかつ、それを修正したいのであれば、
「わかる授業」が最善の策ではないと僕は思う。


そして、「わかる授業」のための、「指導法向上」「教材開発」ではなく、
「考えさせる」授業のそれらが必要なのではないかと
思う今日この頃。まぁ、机上の空論です。おそまつ。







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