同じ空の下で。
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2002年11月21日(木) |
ある意味マインドコントロール |
日本対アルゼンチンの試合があった。 (あ、ちなみに、今日の日記、、長いです。。) 結果は、皆さんの知っている通りの0ー2の敗戦だ。 自分の目で試合を見ていないので、偉そうなことは言えないが、、 試合を見ていないから「こそ」言えることを今日は書きたいと思う。
僕が、この試合の結果を知る手だては、インターネットである。 ニュースから、はたまた、誰かのコラムでしか この試合の要細を感じ見ることはできない。 ここには、明らかに誰かの「目」を通した情報しか 僕の目には入ってこないのである。 確かに、これは危険である。 しかし、自分の主観が入らないという長所も併せ持っている のではないかとも思う。 自分で見たものを消化して、その消化したものと、他人が消化したものを 比較するのもスポーツの一つの楽しみかたではないかと思う。 しかし、それが今は物理的に不可能なので、違ったことを考えたりする。 そして、評論家やスポーツ作家、はたまた、 個人個人の感想を読んで、楽しんだりする。 やはり、人それぞれ感じ方は違うというのが感想だ。
選手の試合後などのコメントなどにも目を通す。 その際、必ず、要所を抜粋したコメントを読むのではなく、 全文がかかれているものを探し当てて読むように心がけている。 それは、コラムとは違って、 選手のコメントは人の編集がなるべく入っていない方がベターでるからだ。 理由は簡単、コメントは生のものであって、他人の意見ではないからだ。
そこで、多くの似たようなコメントをよく目にする。 「世界との差、、」はてまた、「僅差」、「壁」といったものだ。
やっている本人しかわからないものは確かにあるのであろう。 それを見つけ出し、精進するのもそれはスポーツ選手のテーマであろう。
が、しかしだ。 なんでも、かんでも、簡単にこの言葉が使われすぎている気がするのは 僕だけだろうか?? 後半開始2分(4分?)で、2点を取られた。 確かに、集中力の問題なのかもしれないが、 それが、世界との差なのか?? それは、集中力の問題であって、世界との差ではないのではないか? それとも、集中力の差が世界との差なのか?? もし、相手が(結果的に)ワールドカップで4位 (結果だけ見れば十分「世界」の部類に入る) になった韓国であり、同じような結果が出ても、 選手たちは「世界との差」とか言うのであろうか?
以前、このような文献を読んだことがある。 それは、いわゆる簡単な言葉でいえば 「マインドコントロール」とでもなるのであろうか。 アメリカで行われた実験の結果である。 ある、女性教師のもとに10人の知的レベルが一定の児童をあずけた。 その教師には「A,B,C,D君たちは他の子どもよりも頭がいい」 という嘘の情報を予め流しておいたのである。実際は、その差はない。 そして、数ヶ月後に数学のテストをしたところ、 嘘として流した情報が現実になったのである。 つまりA,B,C,Dの結果が他の子たちの結果よりよかったのだ。
教師の本質からして、すべての子供たちに平等に接していたはずである。 しかし、嘘として与えられた情報は、 この教師の心理に作用したことは言うまでもない。 教師の「この子達はできる」という思い込みと、そこからくる期待。 それが、テストの点数の差として現れたのである。 つまり、上に立つもののポジティブな思い込みというものは、 その下にいるものの習熟に大きな影響を与えるのである。
さて、ジーコは、どのようなことを言っているのであろう? 前監督のフランス人ホモヒゲは、何かと「差」とかほざきやがった。 監督が「差はない」と言い続ければ、 選手の口から「差」という言葉は徐々に減るものだと思う。 もちろん、選手個々が感じる「何か」はあるにせよ。 (←これが「差」とか言うな!)
ジーコが日本人選手の力に確信を持っているのであれば、、 2006年は明るいものになるのではと思って、、希望してならない。
それにしても、フランス人ケツアゴはアイルランドの 監督になったりするんですか?? アイルランドが弱くなりそうだからヤメテクレ。。。
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