思いつき日記
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昨日、母親が妹にたまっていた鬱憤をぶつけた。
自分勝手なところもある主張だったけど、妹のこれから生きてゆく上でのことを 思い遣った、愛情あふれるものだった。
私はそれを見て、親離れ、子離れの儀式とみなした。
私はバルザックの『ゴリオ爺さん』のゴリオ氏やモーパッサンの『女の一生』に でてくるジャーヌ氏みたいに、一口に言えば、親ばかになる気がする。 母親が妹にしたように私が出来るかといえば…今は分からない。
人生を生きてゆく上で、必ず子供を独り立ちすべく準備を親がするのは当然で、 その場面に私が立ち会えたのはとても勉強になった。
もちろん私にもその状況はあったと思うのだが、自身が携わっているといまいち 分からかった。第三者として客観的にその事象を見る事によって、はっきり見えて くる。
話は飛んで兄貴を見ていると親には何が必要なのかということが少し見えてくる ような気がする。ちなみに兄は勉強はできない(というかしなかった)けれども、 生きてゆく上で何が大切なのかということを、ありのまま、空気が存在する のがあたりまえだというのと同様、感覚的に知っている。
兄が自分の娘に接しているのを見ると、私から見ると、厳しすぎるのかな? と思う気がするのですが、娘(姪)にとってはそれが本当の意味で生きてゆく 上で必要なことなのは明白なのであり。
私がもし子供を持つようなことになるのだとしたら、ゴリオ氏やジャーヌ氏 みたいになるのは避けなくてはならない。兄貴や母を見習わないといけない。
…私は人を育てる上で『厳しくする』という事が出来ない人間であると 思い込んでいたので、先生になるのを(大学時代、教職をとるのを)取りやめに したのかもしれない。いまだに先生という職業は憧れるが、自分には不適格だと 思っている。
とにかく、いつも笑顔で鞭を用いることなく人を育てるなんて事は出来ない。 それが今回よく身に染みて分かった事である。 それを実行できるかというのはまた別問題ですが。
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