思いつき日記
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2002年02月08日(金) |
“アラン”っぽいエッセイ風 |
ある日記を読んでいた。心に病を持つ人の日記。 その人は猫を飼っている。日記に登場する猫は、どうにも猫らしくない行動。 多分八つ当たりされてこんなになってしまったと私も思う。 (その人も認めている)
寂しいから動物を飼う。 都合の良いように飼う。
その日記を読んでいて、少し悲しくなった。
ところで、こんな文章を見つけた。
人間は人間と異なった時間軸で成長する他の生命と触れあうことが必要である という。人間より速い時間で生成をくり返すネコやイヌ、あるいはもっと速く 毎年入れ替わる昆虫などとつき合う、と同時に人間よりはるかにゆっくりと時を 刻む樹木に想いを寄せ、愛でる。そうすることによって、人間も他の生命と同様に 成長をくり返しつつ悠久の時を経て続いている存在であること、すべての生命は 一つの根本から成り、そのすべてによって生かされているという事実と万物愛護の 精神を悟ることができる。
これは子供のうちに出来るだけしておいた方がいいことであると思う。 私は幸いにも生まれた時から動物がまわりにいたので親に感謝しているわけ ですが、ホントこれは私のこれからの考え方に大きく影響を与えた文であり。
実体験として一番の不幸“別れ”のシュミレート(というのはおかしいか)を 経験出来たのも人格形成の上で大きいと思う。
ある日記で(もう消えてしまったけど)最愛の人との別れが不慮のものというのを 見た事がある。ちなみにその人も壊れてしまったらしく、病院にいったりしていた みたいですが。初めての(推測)別れが最大級だったらこんなになってしまうの だろうか?
ところでシュミレートといえば社会生活のための模擬期間、モラトリアムの時代。 この期間というものはかけがえのない時間だと思われる。
私の会社に高卒で入社した女の人がいる。 もう6〜7年くらい居るのだろうけど、いまだに社会生活における言葉の使い方と 友達との言葉遣いがわからない…そんな姿を見るとモラトリアムは必要なのでは! と強く感じるものである。友達口調で部長とかと話をしているのを聞くと、 違和感を感じざるを得ない…
宇多田ヒカルさんのタメ語を聞いても違和感を感じる… そんな私は古い人間でしょうか。
って私は一体何を主張したいのだろう。はて
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