思いつき日記
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五木寛之さんのエッセイに、気になることが書いてあった。 『 ぼくらはかなり適当な気持ちで、「がんばれ」と言う言葉を 使っているような気がするのです。本当は単純に「がんばれ」 と口走ってはいけないのではないか。』
そう、あれは暮も押し迫った12月下旬。 私と家族は、ガン(治る見込みのない)の人をお見舞いに行った。 当の本人も、ダメなのかと自覚しているらしく、話をしている時でも ふっと涙が浮かんできていたりしました。
何も声を掛けられず時は移ろい、とうとう帰るときが来まして。 私は何か一言を、といわれて、つい「がんばって下さい」と言ってしまった。 (心の中では、違和感ばりばり。だって末期ガンですよ。空しさが心に立ちこめて いました。このやるせない気分ときたら…) しかし、ホント何を言って良いのか分からなかったのですよね。 (気の利いた言葉を言えないアドリブに弱い男)
で、その解決のヒントとなるかもしれない考え方がそのエッセイの後に。
同治と対治という二つの言葉があります。 これらはもともと仏教のほうの言葉だそうで。
例えば高熱を発した時に氷で冷やして熱を下げるようなやり方を <対治>というのだそうです。
これに対して、十分に温かくしてあげて汗をたっぷりかかせ、 そのことで熱を下げるようなやり方を<同治>と言うらしい。
また、悲しんでいる人に、「いつまでもくよくよしててもダメ。 気持ちを立て直してがんばりなさい。さあ、元気をだそう!」 というふうに励まして、それで悲しみから立ち直らせるのが <対治>的なやり方だそうです。
これに対して、黙って一緒に涙を流すことによって、その人の 心の重荷を少しでも自分のほうに引き受けようとする、そういう 態度が<同治>らしい。
そして<同治>のほうが、様々な場面で<対治>よりも良い結果 をもたらすほうが多いというのです。
なるほどなー。この考え方はいろいろ応用できそうな気がします。
これからは、この考え方を忘れずに生きていけたらな、と思います。 結局、何を言ったら良かったのかという結論は出ないでいますけど。ダメじゃん。
まあ、そのガン患者とは最後に笑顔で別れられたので、私的にひどく 心に傷を負ったというわけではなかったのがせめてもの救いですね。
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