「新潮45」の休刊を発表 杉田水脈氏の寄稿問題で批判(朝日新聞 2018.09.25)LGBTをめぐる寄稿や企画が批判されている月刊誌「新潮45」について、発行元の新潮社は25日、休刊を決めたと発表した。部数が低迷し試行錯誤を続ける中で「編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や原稿チェックがおろそかになっていたことは否めない」と説明。「会社として十分な編集体制を整備しないまま刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、休刊を決断した」「限りなく廃刊に近い休刊」としている。 佐藤社長は21日に「ある部分に関しては、あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」との声明を公表したが、この段階で同社は「謝罪ではない」との認識を示していた。 だが25日に報道各社へ出した声明文では、「このような事態を招いたことについてお詫(わ)び致します」と初めて謝罪。「社内の編集体制をいま一度見直し、信頼に値する出版活動をしていく」と記した。発売中の10月号が最終号となる。 新潮45は8月号に自民党の杉田水脈(みお)衆院議員の寄稿「『LGBT』支援の度が過ぎる」を掲載。同性カップルを念頭に「生産性がない」などと主張する内容が差別的だと批判を浴びた。10月号に特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」を載せると作家や書店なども含め反発はさらに強まり、同社での執筆や取引を取りやめようとする動きも出ていた。杉田水脈氏の寄稿にはまったく賛同もできなくて、そりゃあんなチラシの裏に書くようなものを載せると批判や抗議の声は集まるよなと思って見ていたわけですが、くすぶりつつもこの件は表現や言論の自由という認識で有耶無耶になって杉田水脈氏の評価を下げて所属先の自民党に影響が出るもののそのままフェードアウトしていくんじゃないかと思っていましたが、新潮社が『新調45』10月号で自らカサブタを開いて、さらに小川榮太郎氏の痴漢擁護まで飛び出して傷口を大きく開いて大出血したというアホなことをしたわけですが、反論に10月号で反論しておきながら騒ぎが大きくなったら編集長が杉田水脈氏や小川榮太郎氏の寄稿を良しとしたのか見解すら示さずに「廃刊」で臭いものに蓋しちゃったようにしたのはそれこそ、ずっと言論の世界で食べてきたくせにいちばん重要なところで言論の放棄をしてしまったことにモヤモヤしたわけです。この急な廃刊を部数低迷なのでこの騒ぎを利用したとか言われてますが、私としては有名な作家が新刊の出版をしばらく取りやめにすると主張したり作家などが相次いで今後は新潮社では書かない、書店が新潮社の出版物を置かないと言い出したことで、この先の新潮社全体のマネーのことを考えてじゃないかなと思っています。出版社としては作家に書いて(描いて)もらって本を出して書店に売ってもらって経営が成り立つわけですから、だったら部数低迷している雑誌を守るより捨てるほうが得策です。以前にライトノベルの作家が数年前にツイッターで中国や韓国への差別発言を書いていたことで、その作家のラノベの出版停止し放送が決まっていたアニメも放送休止で幕引きしたことがありましたが、これもこの先の中国マネーのことを考えてのことでしょう。アメリカではリベラルで有名な映画監督が数年前にツイッターに書いていた人種差別的なツイートを発見されて批判が集まり、多様性をテーマにして脚本を書き人気となったシリーズの監督を降板させられていましたが、杉田水脈氏の寄稿みたいに最低なものには最低と言えばいいけど、最近は自分が嫌いなもの気に入らないものを見つけて大勢の人で叩いて潰してしまう時代になってきたなーと思います。モーリーロバートソンさんがアメリカでリベラルの声が強くなってリベラルが気に入らないものをどんどん潰していくので、逆にリベラルへの反発が強くなって、リベラルが守っている難民やLGBTや障害者などなどマイノリティーを攻撃するような反マイノリティーが強まってきているのですが、日本も言論に言論で対抗せずに多数が棍棒を持って叩き潰して勝ち誇っているような状況が続けば、米国のように反マイノリティーとか加速していきそうで危うい段階になっていると思います。