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2016年09月19日(月) リオパラリンピックが閉幕しTOKYO2020への課題が見えた。

リオパラリンピック閉幕 日本はメダル24個、金はなし(朝日新聞 2016.09.19)

南米初となるリオデジャネイロ・パラリンピックが18日夜
(日本時間19日朝)、閉会式を終え、閉幕した。
苦境や困難を乗り越えてきたアスリートによる12日間の大会が幕を閉じた。
2020年の次回大会は、東京で開かれる。

リオパラリンピックには、日本から約130人の選手が大会に参加。
金メダルの目標は10個としていたが、1964年東京大会以降で初めてゼロとなった。
ただ、メダルの総数では計24個(銀10個、銅14個)を獲得し、
計16個(金5、銀5、銅6)だった前回ロンドン大会を上回った。

 各国のメダル獲得数をみると、
トップの中国が239個(金107、銀81、銅51)で圧倒的な強さを見せた。
2位の英国は147個(金64、銀39、銅44)で、
前々回、前回大会の開催国による躍進ぶりが目立った。
3位はウクライナで117個(金41、銀37、銅39)だった。

 閉会式は五輪の開会式、閉会式が行われたマラカナン競技場で行われた。
終盤には、恒例の「フラッグハンドオーバーセレモニー」があった。
リオデジャネイロ市のパエス市長から、国際パラリンピック委員会(IPC)のクレーブン会長を介して、
小池百合子東京都知事にパラリンピック旗が引き継がれ、
東京大会をPRする映像やアトラクションが披露された。


リオパラリンピックが閉幕しました。

今回はNHKも中継やネット配信に力を入れており、

オリンピックよりもリオの試合のほうをたくさん観たかもしれません。



パラリンピック引継ぎ式演出はオリンピックと同じメンバーによる演出で

健常者と障害者分け隔てなく統一されたものでしたし、

なによりも「障害は不幸ではなく個性であり個人が紡ぎ出すことのできる美」を

クールジャパンな表現で魅せていたと感じました。

ピチカートファイヴの「東京は夜の7時」が流れてきて、

これは予想外でビックリしましたが。

東京って楽しそうと思ってもらえたことは確実なので、

4年後にパラリンピック出場の選手が快適に滞在できるように

バリアフリーを今よりも進めていく必要があります。

さて、リオパラリンピックの日本勢は前回大会よりもメダル数は増えたものの

金メダルはゼロに終わりました。

これは日本以上に先進国が障害者スポーツへの支援や育成に本腰を入れて取り組みはじめて

その結果、選手のレベルが格段に高くなったからなのでしょう。

中国は北京パラリンピック後にオリンピック同様に

国家プロジェクトとして障害者スポーツにも積極的に予算を投資し、

障害者専用の競技施設までが完成し利用され、

障害者への理解も進んでいるそうです。

ところが、日本ではまだまだ障害者や障害者スポーツへの理解が遅れており、

車椅子競技では車椅子で施設の床が痛むということで

一般施設での練習を断られて練習場確保が難しかったり、

そのほかの競技でも事故が起きた時に対応や保障できないなどの理由で

障害者が自由にスポーツを楽しめない状況になっています。

施設利用お断り、パラリンピック選手でも2割(日刊スポーツ 2016.09.17)

今大会は海外の10代の選手が表彰台ではしゃぐ光景が珍しくない。
しかし、日本の若手は決勝の壁になかなか太刀打ちできない。
「選手層が薄い」「強化費不足」「指導者がいない」など、強化サイドの理由はさまざまある。
だが、そもそも障がい者が健常者と差別なくスポーツができる
環境が整っていないことに要因があるように思う。

 8月に日本パラリンピアンズ協会が、
今夏に実施したパラリンピック選手の環境調査の結果を発表した。
驚いたのは日本代表選手でさえ5人に1人が施設利用を断られた経験があると回答したことだ。
理由は、車いす競技では「床にキズがつくから」といった回答が多く、
ほかに「危ない」「ケガをした場合の保障ができない」などもあった。

 20年東京大会決定から3年。パラリンピックの認知度は急上昇した。
ただ、あの激しい車いすラグビーの合宿に体育館を貸し出している渋谷区のような自治体がある一方、
社会全体ではまだまだ「弱い」「1人でできない」「危険」といった先入観で
障がい者を見ている施設関係者も少なくないのだろう。

 所管が厚労省から五輪と同じ文科省に移り、
パラリンピック選手の国立スポーツ科学センター(JISS)の利用も可能になった。
日本パラリンピック委員会では20年東京大会で金メダル22個以上を目標に掲げている。
しかし、トップ選手だけを集中強化しても、
普及には役立つが、環境が伴わなければ裾野は広がらない。

4年後へ向けて日本パラリンピック委員会と各競技団体が協力して、
選手発掘や普及にさまざまな取り組みをしている。
だが、本当の意味で障がい者のスポーツ環境を変えるには、
何よりもまず健常者が心のバリアーを取り払う必要がある。


もっと障害者の人達も気軽にスポーツを楽しめるよう、

国は今よりも障害者スポーツの支援と育成に積極的投資をし

一般健常者には意識改革の取り組みを働きかける必要があります。

今までは施設利用が難しいことで諦めていたり途中で挫折した障害者でも

練習環境が整えば、やってみようと思うことで障害者スポーツの競技人口も増え、

それにより選手の裾野が広がることとなり優秀な選手も誕生することでしょう。

企業が支援すればそれが企業価値を深めることにもなります。

千葉市は意識改革を進めて積極的支援に乗り出しています。



これは他の自治体でも可能です。

ほかの国のように健常者と障害者が同じ場所でトレーニングできることが理想ですよね。

4年は長いようで短いです。

環境改善をして4年後に「素晴らしいパラリンピックだった」

「日本代表選手も強くなった」と言ってもらえることを願っています。









名塚元哉 |←ホームページ