鳥越氏 国会前で「非核」訴える(デイリースポーツ 7月19日)東京都知事選(31日投開票)に立候補している、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏(76)が19日夕、憲法改正反対などを訴えるために多数の市民団体が集まった東京・永田町の国会議事堂前で、演説を行った。 登場直前まで周囲はゲリラ豪雨に見舞われ、小降りになった雨の中で、「1に平和、2に憲法、3に脱原発。東京都はまず非核都市宣言をやりたい。オバマさんはプラハで核なき世界を語っただけでノーベル(平和)賞をもらいましたが、私は何の賞もいりません」と声高にアピール。大観衆と一体となり、「新しい東京に変えよう!!」とシュプレヒコールを上げていた。なぜ、都知事を目指しているのに国政でする仕事の話をしているのだろうか?「安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです」大橋巨泉さん逝く。合掌。最後の言葉にお応えし、都知事選挙で巨泉さんの無念を晴らします! https://t.co/73ru4oLOZt— 小池晃 (@koike_akira) 2016年7月20日 やっぱり野党は国政の復讐に都政を利用しているだけというのがよく分かるツイートです。◆『シン・ゴジラ』最速レビュー!現代日本に現れた完全生物を媒介にする“現実 VS 理想”物語(オリコンスタイル 7月19 日)7月29日の劇場公開まで、あと10日に迫った映画『シン・ゴジラ』。1954年にゴジラが誕生してから62年、本作で29作目になるほど長く愛されるゴジラシリーズ新作への期待は高く、ORICON STYLEでも製作決定からこれまで、数々の記事を配信してきたが、庵野秀明総監督が生み出した作品世界は、我々の想像をはるかに超えていた。地球上、もっとも進化した完全生物(まさに“荒ぶる神”である)として、現代日本に現れたゴジラを媒介に“現実 VS 理想”の物語が切り拓かれる。本作を鑑賞して、まず“現実”描写のリアリティに驚愕した。ゴジラという(人間には)コントロール不能な大災害が起きたとき、日本政府や地方自治体、自衛隊を率いる防衛省は、どのように連携を取り、事態収束にあたるのか? 危機管理対策室の設置をはじめ、命令系統の流れや、自衛隊や官僚独特の専門用語を早口かつ流暢に交わす政府関係者たちのやりとりなど、観客は政治の裏側を目撃する。何を決めるにもまずは会議から、という悪習や、長過ぎてどうでもいい会議名といったお役所仕事の実態に対しては、ピリっとした風刺もきいていて、胸がすく。同様に、平和ボケした現代日本人の危機対応力の鈍さにも、痛烈な眼差しが向けられる。 現実とは、過去から形成されるもの、という意味では“現実 VS 過去”の側面もある。 ゴジラに破壊された町を目の当たりにした、主人公・矢口蘭堂(長谷川博己)が祈りを捧げるシーンに、東日本大震災を想起する観客も少なくないだろう。ゴジラ対策チームを牽引する内閣官房副長官の矢口は、破壊されてゆく街を眼前にしてもなお、海の向こうから電話一本で横暴な支持を出す米国の、属国に甘んじる道を外れようとはしない日本政府の対応について、内閣総理大臣補佐官の赤坂(竹野内豊)に「戦後は続くよどこまでも。だから諦めるんですか?」と噛みつく。そんな矢口とともにゴジラ対策に挑む米国大統領特使のカヨコ(石原さとみ)は、第二次世界大戦で被爆した日本人の祖母を持つ日系3世の設定だ。ゴジラの出現で、70年以上も前の苦い記憶が呼び覚まされていく。日本政府・ゴジラ対策チームのメンバー、環境省の尾頭(市川実日子)が「ゴジラより怖いのは、私たち人間ね」と吐き捨てるシーンも印象的だ。ゴジラ出現によって、人間の恐ろしさをも映し出す本作は、公式サイトにアップされた庵野総監督のコメントの言葉を借りれば“現実のカリカチュア”だ。本作のゴジラの目は、庵野総監督の強いこだわりから、いちばん怖い人間の眼をモデルにしたと聞く。さらに本作で謎の巨大生物を「ゴジラ」と名づけ、消息を絶った教授(シリーズ第1作へのオマージュを捧げられたキャラクター)は、宮沢賢治の詩集『春と修羅』を残した。修羅(阿修羅)とは仏教で、自分の正義に固執した結果、善心を見失い、悪となって天界を追われたとされる。我々人間は、地球上で、身勝手な正義にこだわって来なかったか? という一石を投じられた気分になる。そんな現代社会に肉薄した“現実”に対して、“理想”の部分はどう描かれているか? 「想定外」のゴジラの出現に混乱する日本政府だったが、やがて異なる意見を持ちながらも、それぞれの立場を越えて対策を練っていく。矢口率いるゴジラ対策チームの面々は、次第に日本ならではのチームワークの良さを発揮する。矢口の焦りを落ち着け、支えてくれる仲間(松尾諭、高良健吾、塚本晋也、高橋一生、津田寛治、野間口徹ら)の存在が、矢口を一国のリーダーに、ゴジラと拮抗する魅力を放つヒーローへと仕立て上げる。日本のために一丸となって、世代も境遇も違う人たちの輪ができていく様子には、確かな共感がある。チームを支える日本的なモチーフにもグッとくる。不眠不休で仕事に励むチームのメンバーに差し入れられる、おにぎりや熱いお茶に込められた心遣い。忙しい中でも、食事の後には「ごちそうさま」と 挨拶を忘れないメンバーの感謝の気持ち。小さなエピソードの積み重ねが、チームの中にふしぎな一体感を生む。と同時に、それを目撃する観客の心に、果たしてこれは“理想”に過ぎないのだろうか? という疑問が浮かび上がるのだ。「知恵は多い方がいい」という矢口のスタイルは、昨今流行の個人プレーとは真逆のチームワークで、世界をも巻き込んでいく。ある国の責任者は、リスクを承知の上で「人間を信じましょう」と日本の申し出を歓迎する(これもまた“理想”に過ぎないのか、という疑念が観る者の心を揺さぶる)。復興後のことまで考えた上で、多少の犠牲はやむなしと考える、現実主義者の赤坂とは対照的に、矢口は理想主義者だ。政治家としては未熟なのかもしれないが、ゴジラのような見たこともない脅威にさらされたとき“理想”とそこから生まれる“想像力”こそが、人間の唯一の対抗策なのかもしれないという思いが、物語に入り込むにつれて、じわじわと胸に広がっていく。10年後、すなわち40代で内閣総理大臣のポストを狙い、出世街道を突っ走ってきた矢口が、最初の異常事態に関する対策会議の席で、柄にもなく「巨大不明生物」の可能性を提言して、一笑に付されるシーンがあった。政治家となった矢口の心にも、ゴジラに魅了された、少年の頃の自分が潜んでいたということだろう。現在の自分を形作る、過去の自分の未知なる世界や未来への憧れ。……もしも映画が“理想”を描くものであるならば、本作のテーマは“現実 VS 映画”と言ってもいいかもしれない。そんな庵野総監督の強烈な自負心も感じた。未来へつなぐ問題提起と未来に残る感動を心に刻む、日本が世界に誇る、新しいゴジラ映画が誕生した。いよいよ9日後に公開が迫った『シン・ゴジラ』の情報が一挙解禁されました。レビューを読むと期待値が上がりに上がりますね!先月の中旬ぐらいに「まだ完成してない」という報道もあって、公開が先送りになるんじゃないかと不安もあったのですが当初の予定通り7月29日に公開されるので安心しました。まだ9日も我慢しなきゃいけないのかっ!という気持ちもありますが楽しみです。阪神淡路大震災後に作られた怪獣映画『ガメラ2 レギオン襲来』などは、その経験を生かし現実のリアルを怪獣映画という虚構の世界に反映させていましたが、 『シン・ゴジラ』は東日本大震災後に作られた怪獣映画ということもあり、世界観や画作りをより現実世界に近づけていることが伺われます。虚構の世界にリアルをどこまで持ち込むのか、上手いぐあいに足し算と引き算が出来ているのであれば、怪獣映画には興味が無い層も楽しむことが出来て評価される映画となるのではないでしょうか。今や評論家などの評価以上に親しい友人などが楽しんだことを伝える口コミのほうが信頼されている時代で観た人の口コミによりネットの拡散が最近の映画のヒットの法則でもあり、企業もそれを頼りにしたり重要視している傾向なので、その口コミ力を活かせることができるのかもヒットの鍵を握る上で重要です。さて、その口コミ力に関しては、すでにシン・ゴジラはキティちゃんのように仕事を選ばない感じで企業との面白いコラボ企画がいくつも展開されていますが、一般層に浸透しているのでしょうか?そこからゴジラを観に行こうと思っている人達が出てくればいいのですが、反応を見ていると静かでいささか不安を感じてしまいます。あと、これまでと違って見た目が不気味なシン・ゴジラのデザインって怪獣好きじゃない一般層にどう思われているんでしょうね。兎にも角にも『シン・ゴジラ』の後にゴジラの続編が国内で制作されるかどうかも、まずは29日から公開の『シン・ゴジラ』が大ヒットしてくれないとお話になんないわけで、みんな『シン・ゴジラ』を観てください!
「安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです」大橋巨泉さん逝く。合掌。最後の言葉にお応えし、都知事選挙で巨泉さんの無念を晴らします! https://t.co/73ru4oLOZt— 小池晃 (@koike_akira) 2016年7月20日
「安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです」大橋巨泉さん逝く。合掌。最後の言葉にお応えし、都知事選挙で巨泉さんの無念を晴らします! https://t.co/73ru4oLOZt