鎮魂、再生へ祈り=東日本大震災4年で追悼式―安倍首相「復興、新たな段階に」(時事通信 3月11日)東日本大震災から4年を迎えた11日、政府主催の追悼式が東京都千代田区の国立劇場で営まれた。天皇、皇后両陛下、安倍晋三首相ら三権の長、犠牲者の遺族代表ら約1200人が参列。地震発生時刻の午後2時46分から1分間、黙とうし、犠牲者の鎮魂と東北の再生を祈った。 2011年の震災では、死者・行方不明者が1万8000人を超えた。東京電力福島第1原発では深刻な事故が発生。事故の影響もあり、現在でも23万人近くが避難生活を強いられている。 首相は式辞で「被災地に足を運ぶたび、復興のつち音が大きくなっていることを実感する。復興は新たな段階に移りつつある」と強調する一方、「今なお23万人の方が厳しい、不自由な生活を送られている。健康・生活支援、心のケアも含め、さらに復興を加速していく」と表明した。 天皇陛下はお言葉で「被災地においては、人々が厳しい状況の中、お互いの絆(きずな)を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました。地場産業の発展、防災施設の整備、安全な居住地域の造成などさまざまな進展が見られましたが、依然として被災した人々を取り巻く状況は厳しく、これからも国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います」と述べられた。 岩手、宮城、福島3県の遺族代表もそれぞれ思いを語った。宮城県石巻市出身の菅原彩加さん(19)は中学校の卒業式を終えた後、家族5人で津波に襲われ、目の前で助けを求める母を救えなかった。「15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんあった」と振り返りつつ、「震災で失ったものと同じくらいのものを私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたい」と誓った。「東日本大震災4周年追悼式」天皇陛下のお言葉全文(ハフィントンポスト日本版 3月11日)東日本大震災の発生から4年目を迎えた3月11日、東京・千代田区の国立劇場で、政府主催の「東日本大震災4周年追悼式」が開かれた。天皇陛下のお言葉の全文は、以下の通り。東日本大震災から4年が経ちました。ここに一同とともに、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。4年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、2万人を超す死者・行方不明者が生じました。テレビに映った津波の映像は、決して忘れることのできない本当に恐ろしいものでした。死者・行方不明者の中には危険をかえりみず、人々の救助や防災活動に従事した人々があったことが、今も痛ましく思い出されます。被災地で、また避難先で、被災者の多くが今日もなお、困難な暮らしを続けています。特に年々、高齢化していく被災者の健康は深く心にかかります。さらに、この震災により原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされました。今なお自らの家に帰還する見通しが立っていない人が多いことを思うと、心が痛みます。この4年間、被災地においては人々が厳しい状況の中、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました。またこうした努力を支援するため、国内外の人々が引き続き、いろいろな形で尽力しています。この結果、地場産業の発展、防災施設の整備、安全な居住地域の造成などさまざまな進展がみられましたが、依然として被災した人々を取り巻く状況は厳しく、これからも国民みなが心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。このたびの大震災においては、私どもは災害に関し、日頃の避難訓練と津波防災教育がいかに大切かを学びました。こうした教訓を決して忘れることなく子孫に伝え、より安全な国土を築くべく努力を続けることが重要であると思います。この14日から宮城県仙台市において第3回国連防災世界会議が開催されますが、この会議において、我が国のみならず世界各国においても、この大震災の教訓が分かち合われ、被害の軽減や人々の安全性の確保に意義ある成果が挙げられることを願っています。被災地に一日も早く安らかな日々が戻ることを一同とともに願い、御霊への追悼の言葉といたします。もう4年で、まだ4年なのですよね。東日本大震災4年目と阪神淡路大震災4年目の復興のスピードを比べて、批判的な論調をこの1週間の間にテレビでいくつか見たのですが、東日本大震災の被害は東北3県に渡り加えて原発事故もあるように被害の規模がぜんぜん違うので比べるのは間違いだと思うんですよね。震災という災害は同じであってもまったく別物として捉えないと大事なことを見失うと思うのです。その規模の大きさから復興がなかなか進んでない印象を受けてしまうのですが、住んでいる人の声や現地取材の報道などを見ていると、一歩ずつではありますが着実に復興へ進んでいっているようです。4年が経過して重要なのは街の復興もそうなのですが、やはり被災者への心のケアにももっと関心を持って接していくべきときに来たのではないかということです。私は20年前の阪神淡路大震災で被災した経験を通して被災者の方に伝えたいのは、しんどい時つらい時は正直に誰かに話してほしいということです。心配させまいと我慢したり無理に元気を装わないでほしいということです。これからは少しでも心の負担が軽減されることも復興への取り組みのひとつでもあるのですから。そして、義捐金だったりボランティアだったり、何らかの行動を通して手を差し伸べてあげられる私達もこの4年間、毎日辛抱強く頑張っている被災者に「頑張って」と声をかけるのは酷だと思うので、それよりも「お疲れが出てませんか?」「今、何が必要ですか?」「心に溜まったモヤモヤを遠慮せず話してください」などといったエールよりも心の負担を軽減させられるような気配りの声を積極的にかけてあげることを心がけていくときに来たと思います。悲しみの傷は決して癒されることはないけど、それでも話したりすることで少し楽になることはあるのですから。◆福島県産品「ためらう」17.4% 昨夏の調査から減少(朝日新聞 3月11日)買いたくない人は無理に買わなくていいんですよ。その代わりに余計な言葉を付け加えたりしないで黙って離れててとは思います。今朝のNHK『あさイチ』に福島差別やデマを煽っている室井佑月さんが出ていたので、よりによってこんな日にこんな人を呼ばなくていいのにと思いながら、チャンネルを変えたらTOKIOの国分さん司会の番組で、福島の米全袋検査など福島の食品がいかに厳しくチェックされ安全なのかを丁寧に紹介していました。幾重に厳しくチェックされている福島の食品が国内生産で一番安全かもしれないとも言いきった番組で、4年経過した今こういった正確な情報をもっとメディアが率先して伝えるべきなんじゃないでしょうかね。福島の生産者にとっては正確な情報が伝わって風評被害が減ることが願いなのですから、その声を汲み取って正確に伝えていくそれが本来のジャーナリズムの役割ではないでしょうか。デマを含めた不安を煽る時期はもうとっくに終わっているのですから。そして、この4年を通してもっとも感じたのは、災害に限らず大きな出来事があると、その人の持っている本当の人間性が明るみになるというのがネットで可視化されるようになったということです。一定の評価を受けていたフリージャーナリストとか識者などが震災によってデマ拡散機になり、それまでの評価が一挙に失われて最低ラインに落ちた人が多く居たのが残念です。