仏紙襲撃、編集部内で乱射 発行人や警官、次々殺害(朝日新聞 1月8日)言論に対してテロ攻撃は断固否定しますし、表現の自由も守られるべきだと思うのですが、風刺漫画が風刺というよりただのヘイトスピーチで、こりゃ過激派を怒らせてしまうほど迂闊な行為だったのではないかと思えました。ただ、一部の狂信的な過激派の行動によって、イスラム教は怖いなどの誤解を受けて、普通にイスラム教を信仰している人達までもが、差別や偏見の目で見られてしまうというジレンマが強くなってしまうわけで、極普通のイスラム教徒たちも過激派に迷惑しているんでしょうね。◆東京)無添加にこだわり19年 杉並のパン屋が閉店(朝日新聞 2014.12.31)自家製の酵母が自慢のパン屋が30日、店を閉じた。福島原発事故をきっかけに、原材料に含まれる放射性物質を調べる安全へのこだわりは、大勢の常連客を引きつけた。 1995年創業の杉並区西荻南の無添加パン屋「リスドォル・ミツ」。 「これまでありがとうございました」。午後5時すぎ。JR西荻窪駅近くのアーケード街。空になったショーケースを背に、店主の廣瀬満雄さん(63)が深々と一礼した。 この日は食パン600斤など60種類を焼いたが、午後2時すぎには完売。「もっと早く来ればよかった」「おいしいパンをありがとうございました」。客は感謝の言葉を伝えた。 廣瀬さんは杉並区の高円寺のパン屋に生まれた。70年代、米国の大学に留学。チェーンストアが添加物を使って効率よくパンを作っていた。26歳で帰国し、それをまねようと父に告げた。だが、無添加パンにこだわる父は激高。廣瀬さんは家を飛び出した。 廣瀬さんは都内にあるパンの製造機械販売会社に就職。添加物を入れて実演してみた。その後、体に湿疹ができてしまった。父を思い出した。会社を辞め、無添加をテーマとしたベーカリーコンサルタントの道へ。国内外に400店舗近くを開店させた。店の職人の研修向けに、さらには父の無添加パンを目指し、ついには自身でこの店を開いた。無添加パンに使ったのは自家培養したビール酵母。他店より割高だが、一番人気の食パンは、1日に200斤が売れ、通販客にも評判が高かった。 廣瀬さんに転機が訪れる。2011年の福島原発事故だ。「原材料の安全性が保てない」。事故から5カ月後に休業。約1年かけて、南半球を中心に世界27カ国で安全な原材料を見て回った。再び店を開けると、小麦や牛乳、バターは3カ月ごと、あるいは仕入れ先が変わるたびに放射性物質の検査を受けた。 閉店は、原材料への検査意識が乏しい「食」の業界に対する抗議も込められる。「素材の安全にこだわる店が閉まるのは残念」。開店当時から買い続けた杉並区のフリー編集者飯田陽子さん(50)は惜しむ。 廣瀬さんは来春、腹部の手術を受ける。店を閉め、パン職人は卒業する。手術後の回復を待って再出発する。次なる道は、安全や健康にこだわる「食」のコンサルタントだ。なんか美談にしてますが、一斤6000円もする話題性だけで売っていた食パンも味が悪けりゃ飽きられるって話なだけですよね。(パン好きの人たちが集まる愛好会でも、ここのパンの評価は低かったですし。)震災後はノンベクレルやベクレルフリーなんて不可能なものを売りにしたり、デマを含め福島など東北の生産者を中傷する発言を繰り返し炎上商法で話題を振りまいていましたが、冷静な判断ができる人ならそんな人が作ったものには近づきたくもないですよ。※どんなデマを振りまいてきたかはこちらのまとめをどうぞ。西荻窪無添加パン工房リスドォル・ミツ『事実福島の子供たちの甲状腺癌のみならず奇形の子供が生まれたり、大人でも心筋梗塞などによる突然死が増えていることは皆さんご承知の通りです。』 (togetterまとめ)【なぞなぞ】パンはパンでも食べられないパンは?残念なノンベクレル志向のパン屋の閉店を残念がる愚かな輩達の様子