山本太郎議員手紙手渡し問題 「マスコミが騒いだから」と反論(FNNニュース 11月1日)山本議員は「天皇陛下の政治利用というなれば、オリンピックの招致や政府主催のイベントなどで、天皇陛下万歳という言葉を使うこと自体が、その場に天皇陛下をお招きすること自体も、政治利用になりかねないと思う」と語った。ご公務で「天皇陛下万歳」ということがなんで政治利用なんでしょう。山本太郎議員の行動、識者の見方は 園遊会で陛下に手紙(朝日新聞 11月2日)10月31日の園遊会で、天皇陛下に手紙を渡した山本太郎議員の行動について、明治時代に天皇に直訴した田中正造になぞらえる向きもある。元衆院議員の田中は1901年、足尾銅山(栃木県)の鉱毒に苦しむ農民を救おうと明治天皇の馬車に走り寄り、その場でとらえられた。陛下に手紙「政治利用」か? 「田中正造における憲法と天皇」の論文がある熊本大の小松裕教授(日本近代思想史)は、(1)田中は直前に辞職し個人で直訴したが、山本氏は議員の立場を利用した(2)明治天皇には政治権力があったが、今の天皇は象徴で何かできる立場ではない、という点で「同一視できない」とみる。 山本氏には「公人の立場を考えるべきだった」と指摘しつつ、政府内の批判にも違和感があるという。天皇陛下が出席した4月の主権回復式典を踏まえ、「政府の方こそ利用しようとしており、あれこれ言う資格はない」。 一方、栃木県の市民大学「田中正造大学」の坂原辰男代表(61)には、環境や住民を顧みず開発を続けた当時の政府と、福島で大きな被害を出しながら原発再稼働を進める現政権が重なる。「善悪の判断は難しいが、正造が生きていたら同じ行動をしたと思う」■批判、公平でない 山口二郎・北海道大教授(政治学)の話 今の天皇、皇后のお二人は戦後民主主義、平和憲法の守り手と言っていい。しかし主張したいことは市民社会の中で言い合うべきで、天皇の権威に依拠して思いを託そうと政治的な場面に引っ張り出すのは大変危うく、山本議員の行動は軽率だ。一方で、主権回復式典の天皇出席や五輪招致への皇族派遣など、安倍政権自体が皇室を大規模に政治利用してきた中、山本氏だけをたたくのは公平ではない。山本氏も国民が選んだ国会議員であり、「不敬」だから辞めろと言うのは、民主主義の否定だ。■政治利用と言うには違和感 明治学院大の原武史教授(政治思想史)は、「今回の行為を政治利用と言ってしまうことには違和感がある。警備の見直しについても議論されるなど大げさになっており、戦前の感覚がまだ残っていると感じる。政治利用というならば、主権回復の日の式典に天皇陛下を出席させたり、IOC総会で皇族に話をさせたりした方がよほど大きな問題だと感じる」と話した。 原教授は自身のツイッターで、「山本太郎議員の『直訴』に対する反発の大きさを見ていると、江戸時代以来一貫する、直訴という行為そのものを極端に忌避してきたこの国の政治風土について改めて考えさせられる」ともつぶやいた。山本太郎の行為について取材した記事かと思ったら、自民党批判に持って行くところが朝日新聞らしいなぁと思うわけですが、記念式典や五輪誘致も含めて式典に天皇陛下や皇族の方々を招くことが政治利用であるとするならば、なぜ、その時に批判しなかったのでしょうか。あれもやったからこれもいいじゃないかと批判するのは違和感を感じます。また、政治家による天皇陛下の政治利用で一番分かりやすいのは、民主党政権が誕生した2009年冬の小沢一郎の行為ではないでしょうか。小沢一郎はご高齢の陛下にご負担をかけないように、外国要人と陛下との会見は1ヵ月前までに文章による申請が必要という宮内庁が設けた1ヵ月ルールを破って、特例として強引に中国の習近平と陛下の会談を実現させ、会見でも「陛下の体調がすぐれないなら他の公務より俺が決めた会談を優先させろ!」と捨てゼリフを吐いた小沢一郎の一連の行為こそが自分の権威づけに陛下を利用した政治利用そのものではないでしょうか。どいつもこいつも小沢一郎の話しを出さない時点でお里が知れます。