北で24年、絶望の拉致生活…蓮池薫さんが手記(読売新聞 10月16日)北朝鮮による拉致被害者5人が帰国して15日で10年。 その一人、蓮池薫さん(55)が北朝鮮での24年間をつづった手記「拉致と決断」(新潮社)を17日に出版する。絶望の中、蓮池さんを支えたのは家族の絆だった。 蓮池さんは1978年7月、新潟県柏崎市の海岸で工作員に拉致された。当初は、恐怖と混乱の中で「日本に帰せ」とただ叫ぶだけだった。帰国が絶望的だと分かり、「自殺」の2文字が脳裏をかすめたこともある。 警備隊と鉄条網で守られた山あいの「招待所」に収容され、監視・教育役の「指導員」から反日的な映画を見せられ、金日成(キムイルソン)主席の論文集も読まされた。 絶望の中から一歩、前に踏み出すきっかけとなったのは80年5月の結婚だった。相手は、一緒に拉致された祐木子さん(56)。長女、長男も誕生し、「子供たちが生きる目的になった」と振り返る。 将来、北で差別を受けることなく生きていけるよう、子供にさえ「帰国した在日朝鮮人」と偽った。子供には北の礼儀作法を厳しく教え、6歳になると約150キロ離れた寮に入れた。 当時は多くの餓死者も出たとされる食糧難で、寮ではトウモロコシが主食だった。蓮池さんは子供の栄養状態が心配で、夏休みなどで帰省した子供が寮に戻る際には「1日2回、5〜6粒ずつ数えて食べろ」と煎った大豆を持たせた。 翻訳の仕事に従事していた蓮池さんは、日本の新聞を複雑な思いで訳していた。 普段は、拉致に関する記事などはスミ塗りにされ、隠されている。だが、ある日偶然、検閲を免れた1枚の写真を見つけた。97年3月の拉致被害者「家族会」結成の記事だった。髪のうすくなった父が、自分の高校卒業アルバムの顔写真を握りしめていた。その後ろには緊張気味に立つ母もいる。「生きていたんだ」。20年ぶりの“再会”の切なさに、息が詰まりそうになった。蓮池薫さん 帰国10年目の告白(NHKニュース 10月15日)北朝鮮による拉致被害者のうち、5人が帰国して15日で10年がたちました。その1人、蓮池薫さんがNHKのインタビューに応じ、平成14年の日朝首脳会談の2年前に、北朝鮮当局が一時、被害者の存在を明らかにしようとする動きを見せていたことなど、これまで語ってこなかった帰国までの経緯や拉致問題解決への思いを明かしました。北朝鮮に拉致された蓮池さん夫妻と地村さん夫妻、それに曽我ひとみさんの5人が、24年ぶりに帰国してから15日で10年がたちました。このうち、昭和53年、大学生の時に拉致された蓮池薫さんは、帰国後、大学に復学。4年前に卒業し、現在は地元の新潟産業大学でハングルの講師をしながら翻訳も手がけています。今週、北朝鮮での生活をつづった手記を出版することになっています。蓮池さんは、帰国から10年の節目にNHKのインタビューに応じました。この中で、日朝首脳会談の2年前の平成12年夏に、北朝鮮当局が一時、拉致被害者の存在を対外的に明らかにしようとする動きを見せていたことを初めて明らかにしました。蓮池さんは「北朝鮮当局から『君たちの存在を認めるが、どう思うか』という話が来て、日本の家族に知らされるならいいと思い、そう返事をした。それ以降、その話はどこかへ行ったが、初めて変化の兆しを感じた」と話しました。また、平成14年の日朝首脳会談の3か月前の時点では“拉致されたのではなく、海難事故に遭い、北朝鮮に助けられた”とする架空の筋書きを話すよう北朝鮮当局から指示されていたことを明らかにし、「シナリオがあって、それを1個1個、頭にたたき込んで、記者会見のときも親に会ったときも、そう言うように指示されていた」と内幕を語りました。そのうえで「北朝鮮には、ダメージを少なくするため、拉致被害者を少なく見せ、できるだけ日本に帰らせずに残しておくという考えがある。私についてもそうだったと思う。被害者の運命が取り引きの材料になってはならず、北朝鮮との交渉に当たっては柔軟さが必要だが、命に関わる部分では絶対に妥協してほしくない」と政府に求めました。また、蓮池さんは、その後、北朝鮮が拉致を認め帰国できた大きな要因について、深刻な食糧危機に陥っていた90年代後半の北朝鮮の国内事情を挙げ、「日本からの経済協力が是が非でも必要な状況で、体制を維持することが第1目標の北朝鮮にとって、疲弊した経済の立て直しが一刻を争う問題になっていた」と話しました。そして「今も経済状況はさほど変わっておらず、北朝鮮は日本を必要としている。多少の米の支援などで北朝鮮は動かず、交渉に当たっては、拉致問題を解決することで国交を正常化し、経済協力をするという大きな枠組みで取り組むしかないと思う。政府は、北朝鮮が動くような方針をしっかり立てたうえで、政権が代わってもその方針を貫いていく姿勢を見せてほしい」と求めました。昨夜NHKで放送された『クローズアップ現代』でも、蓮池さんのロングインタビューが放送されていましたが、帰国から10年が経過して、これまでは心の奥底に仕舞いこんでいた拉致されてから北朝鮮での過酷な日々を公にする踏ん切りのようなものがついたのは、やはり、北朝鮮に残されたままになっている他の被害者のことを考えての決断だったそうです。日本で普通に生活をしているある日突然に拉致されて、北朝鮮という得体の知れない国に突然放り込まれる。上層部から訳の分からない指示を受け、監視下のなかで生きて行かねばならないと知らされた時の絶望感は計り知れないものがあったことは容易に想像ができます。最初は抵抗をしていたそうですが、結婚して子供が生まれたことで、子供を守るために北朝鮮で行きていくしかないと覚悟したそうです。北で生活していくない中で、一番苦しかったのが90年代に飢饉になった時で、また、辛かったのが、日本の新聞を翻訳する仕事をしていた時、自分の救出を求める両親の記事を見つけた時だったそうです。そして、日本へ帰国できることが明らかになった時も、北に残る子供たちのことを考えて迷った部分もあったそうで、日本へ帰国した時は一時帰国と考えていたそうですが、北朝鮮としては国交正常化して日本からの経済支援をなんとしても欲しいわけで、その事実の重みを考えれば、国交正常化によって得られる経済支援と北朝鮮が子供を残しておくことで話が進まないことを天秤にかければ、北は子供を日本へ引き渡す方を必ず選ぶことは間違いないと結論を出して、一時帰国せず日本へ留まることを決断したそうです。自分達が帰国して10年、今も北に残されたままになっている多くの被害者の心境を思うと、私たちも帰国できるのだろうか、蓮池さん達の帰国から10年も経っているので、もうダメなんじゃないだろうかと諦めの気持ちなど、その心中は察するに余りあります。蓮池さんが仰っていましたが、残りの拉致被害者を一日も早く救出するためにも、拉致問題を解決さえすれば、国交正常化で惜しみない経済協力をすると提示し続け北朝鮮を誘惑することです。私も以前は誘拐犯に金を払うなんてもっての他、と考えていましたが、高齢になったご家族のことを考えると、これしか残されていないのではないかと思うようになっています。ただし危険なのは、野田首相が考えているような、2〜3人の拉致被害者救出で経済制裁解除と国交正常化だけはなんとしても避けなければならず、拉致被害者は救出して当たり前のことであって、たった2〜3人で野田首相を支持してはいけません。蓮池さんの本が届くのを楽しみにしています。