小沢一郎夫人が支援者に「離婚しました」「愛人」「隠し子」も綴られた便箋11枚の衝撃(週刊文春 6月13日)便箋11枚にも及ぶ長い手紙の中で、和子夫人は、昨年3月の東日本大震災後の小沢元代表の言動について触れ、「このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました」と書いている。 手紙では、小沢元代表の愛人や隠し子の存在についても触れている。8年前に隠し子の存在がわかったとき、小沢元代表は和子夫人に謝るどころか、「いつでも離婚してやる」と言い放ち、和子夫人は一時は自殺まで考えたとも記している。 そして、このように綴っている。「それでも離婚しなかったのは、小沢が政治家としていざという時には、郷里と日本の為に役立つかもしれないのに、私が水を差すようなことをしていいのかという思いがあり、私自身が我慢すればと、ずっと耐えてきました。 ところが3月11日、大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為になるどころか害になることがはっきりわかりました」「国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。何十年もお世話になっている地元を見捨てて逃げるというのです」 こうした大震災後の小沢元代表の言動がきっかけとなり、和子夫人は昨年7月に家を出て別居を始めたという。その後も現在まで別居は続いているが、小沢事務所は「離婚の事実はない」としている。 和子夫人はこうも綴っている。「かつてない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく自分の保身の為に国政を動かそうとするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています」 現在、消費税増税法案の採決をめぐって、小沢元代表は造反をちらつかせて野田政権を揺さぶっているが、和子夫人の手紙はそうした政治情勢にも大きな影響を与えそうだ。昨年の3月28日に岩手の盛岡を訪問しましたが知事と会談しただけで、被災地や選挙区に寄らずとんぼ返りしたので、要望を伝えたかった小沢支持の被災者も「何で?」とばかりに困惑していて、小沢の選挙区に住む知人が震災後一度も顔を見せてないって昨年の夏頃に怒っていましたが、(ちなみに、小沢が地元を訪問したのは今年の1月でした。)震災から2週間ほど音沙汰がないもんだから、ネット上で余震と放射能が怖くて近畿地方に逃げたらしいとか、震災当日に岩手を訪問していて津波に巻き込まれたとか死亡説を含めた様々な憶測や、東北で一番の大物議員の小沢はなぜ動かないのかとか、こういう時こそ力を発揮するべきだろうといった苛立つ声が溢れてましたが、逃げていたという話は本当だったんですね。愛人や隠し子がいたという事実以上に、震災後すぐに被災地の地元のために動くこともなく、自分の安全のために選挙区の被災地を見捨てていた器の小さい男ということを身内から暴露されたことの方が恥ずかしいですね。