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2009年08月16日(日) 「終戦記念日」が近付くとウンザリ

ここ数年、「終戦記念日」が近付くとウンザリしてきます。

テレビや新聞が「過去の戦争を語り継ぐ」という特集で埋め尽くされますが、

その内容が悲惨なことしか強調しないからです。

「悲惨なことしか強調しない」と書くと、

誤解を受けるかもしれないので、

最初に断わっておきますが、

私は戦争を全肯定しているわけではありません。

(全否定もしませんが。)

人類と世界の歴史上、戦争をしたことのない国など無いですが、

どこの国も勝つことと負けることを体験していて、

日本も同じように勝つこと負けることを体験しています。

戦争なんて勝とうが負けようが、

加害者と被害者の両面を持ち合わせてるし、

戦中、戦後ともに悲惨なのは分かりきっていることではないでしょうか。

また、戦争というものは、勝てば「善」で負ければ「悪」という

単純な図式で測れるものではないにしても、

仮に、これまでの歴史上すべての戦争が平和に対しての

罪や悪そのものだとするのであれば、

全世界・全歴史上、戦争に係わった人間のほとんどが、

平和への罪を犯した愚行と極悪人として断罪されるべきなのに、

毎年、毎年、日本だけが「悲惨さ」と「懺悔」と「断罪」を

ことさら協調することでしか、

戦争を振り返れないというところに、

うんざりしているという気持ちがあります。

そりゃ、戦争体験者の話を伝え聞くということは、

とても重要なことです。

ただ、ほかの国では、負けた戦争を振り返ることがあっても、

「悲惨さ」と「懺悔」の内容だけで、

戦争を語り継ぐというメディアや教育方法は皆無に等しいのではないでしょうか。

戦争を知らない今の時代の世代が、過去の戦争体験者の話に、

とやかく理屈をつけて述べれるような立場でもないと思っていますが、

ことさら64年前の戦争を自らの国が攻め続けるのは、

GHQが生み出した自虐史観教育の成功にもあるでしょうが、

日本は他国に支配され植民地になったこともありませんし、

太平洋戦争前までは戦争に勝ち続けていたので、

アメリカに落とされた原爆と敗戦のショックが大きすぎた故、

負けることへの免疫力のようなものがなかったというのもあり、

根本な部分に完膚なきまでに叩きのめされ負けたことに対して、

安全保障で戦争を始めたのに、

いつの間にか、意地になって暴走して最後は負けに突っ走った

軍部連中への不満や怨みの表れなんじゃないかと。

どうせなら勝てる戦争をしとっけボケ!って感じなんじゃないかと、

最近、思ったりもします。











名塚元哉 |←ホームページ