6434人が犠牲となられた阪神淡路大震災の発生から、14年目を迎えました。毎年のように、この日は午前5時ごろに目が覚めて、それから、あの時のことがフラッシュバックしたりしながら5時46分を迎えます。あの瞬間、被災した人全てに人生の物語があって、その物語が途絶えてしまった人と、物語が継続している人とに分かれました。1月17日は、いつも気が重いまま朝を迎えるわけですが、被災者の心にいろいろなものを残しながらも、神戸の街は目まぐるしい早さで復興し、他府県から引っ越してきた地震を体験していない人々が増え、震災を知らない世代が生まれ、震災など無かったかのように目まぐるしく変わってしまいましたが、震災により、肉親を亡くした方々の心の傷が癒えることはありません。そして、10年以上が経過した今、肉親を亡くした人々以外にも、新たに被災者を苦しめるであろうことがジワジワと忍び寄ってきています。それは、アスベスト被害です。震災からの復興のために、まず多くの半壊、全壊した建物が解体されました。その時に、空気中に大量に飛散した粉塵のアスベストが、神戸在住の被災者や、人手不足のために全国から応援に駆けつけた解体業者などの復興の手助けに手を差し伸べた人々の肺を痛めつけようとしています。吹き付けアスベストは、原則的に1975年に禁止されていますが、他の建材の吹き付けに混ぜたりして使われ続けていました。日本は青石綿と茶石綿の使用禁止が95年に、04年10月に白石綿も含めた原則禁止なりました。全面禁止は、それから4年後の08年、昨年のことです。震災の起きた95年以前は、アスベストの使用が禁止されていませんでしたので、多くの建物にアスベストを使った素材が利用されてました。アスベストが体に与える影響が頻繁に報道されたのは、わずか4年前だったので、震災当時は、アスベストのことなど、多くの人は気にすることもなく生活していました。そんな中で、とくに、解体作業にあたられた作業員の皆さんは、アスベストを吸った量がもっとも多く、今後、悪性中皮腫などの発病被害が深刻化するだろうと予測されています。しかし、そういった作業員のみならず、やはり、神戸で生活している被災者への健康被害も深刻化するのではないでしょうか。当時、多くの人はマスクを着けて、解体作業が進む場所の近くを歩き、会社や学校へ通ったり、日常生活を送っていましたが、アスベストは軽く尚且つ腐敗もせず、服や何かに付着するか、吸い込まれるまでは空気中を永遠にただようそうですから、風に乗って遠くから運ばれたアスベストを、まったく別の場所で知らずに吸ってる可能性はあります。アスベストは、ミクロの時限爆弾と言われるほど、体に害を及ぼす影響を与えるのは約10年〜20年後と遅いこともあり、まさに、これから先、震災によるアスベスト被害が、被災者にも多く発症するのではないかと懸念されています。震災から、14年が経過して、神戸は復興しましたが、これから先も、違った形で被災者を苦しめることになることを、とても危惧しています。 参考ソース:すべて産経新聞より「危険性知って」震災アスベスト被害のパンフ販売【新たな危機】忍び寄る震災アスベスト禍(上)「中皮腫、なぜ私が」 (1/2ページ)【新たな危機】忍び寄る震災アスベスト禍(上)「中皮腫、なぜ私が」 (2/2ページ)【新たな危機】(中)忍び寄る震災アスベスト あまりに無防備 (1/2ページ)【新たな危機】(中)忍び寄る震災アスベスト あまりに無防備 (2/2ページ)【新たな危機】忍び寄る震災アスベスト禍(下)明日の被害なくすため (1/2ページ)【新たな危機】忍び寄る震災アスベスト禍(下)明日の被害なくすため (2/2ページ)