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2008年08月15日(金) 感動をありがとう。

オリンピックを含めて海外の試合で日本人選手が活躍すると、

街頭インタビューを受けた一般人が、

「感動をありがとう。」という表現を使っているのをよく見かけます。

感動したことに対して感謝するのは自由ですが、

とてもヘンだと思ってしまいます。

私も、試合を観ていて、選手の健闘ぶりや、

選手が口にした言葉に感動することが多いですが、

「ありがとう」という感謝の気持ちは沸き起こってきません。

なぜなら、当然のことながら選手は自分のために戦っているのであり、

私のために試合に参加しているわけではないからです。

アーティストのコンサートを観に行って、

事務所やスタッフの御好意で楽屋へ招かれることがありますが、

先ほどまで素晴らしいライヴパフォーマンスを見せたアーティストに、

感想の一つとして「感動しました」と言っても、

「感動をありがとうございました。」とは言いません。

なぜなら、当然のことながら私一人だけのために歌ってくれたり、

演奏してくれているわけではないからです。

それに、スポーツ選手もアーティストも

感動は結果に対して付随してくるものなので、

最初から感動をさせて感謝してもらおうという気持ちで、

取り組んでいるわけでもないと感じます。

ただ、感謝するという行為は大切なことなので、

どちらかと言えば「感動をありがとう」よりも、

「素晴らしいものを見せていただき感謝しています」のほうが、

正しい表現だと思うのですが。

まだ一般人が「感動をありがとう」と言ってしまうことは良いにしても、

オリンピックを伝える大手既成メディアや、商品の広告、

そして政治家までが「感動をありがとう」と言ってしまうのは、

まるで感動に飢えていたり、

感動の押し売りと安売りのようであり、

最高のパフォーマンスを見せたスポーツ選手に対して、

言葉で伝える仕事をする者が「感動をありがとう」では、

あまりにも心がこもっていないように感じるので、

何か違和感を抱いてしまいます。

「感動をありがとう」と聞くたび、

こう思ってしまう私は捻くれているのでしょうか。








名塚元哉 |←ホームページ