オリンピックを含めて海外の試合で日本人選手が活躍すると、街頭インタビューを受けた一般人が、「感動をありがとう。」という表現を使っているのをよく見かけます。感動したことに対して感謝するのは自由ですが、とてもヘンだと思ってしまいます。私も、試合を観ていて、選手の健闘ぶりや、選手が口にした言葉に感動することが多いですが、「ありがとう」という感謝の気持ちは沸き起こってきません。なぜなら、当然のことながら選手は自分のために戦っているのであり、私のために試合に参加しているわけではないからです。アーティストのコンサートを観に行って、事務所やスタッフの御好意で楽屋へ招かれることがありますが、先ほどまで素晴らしいライヴパフォーマンスを見せたアーティストに、感想の一つとして「感動しました」と言っても、「感動をありがとうございました。」とは言いません。なぜなら、当然のことながら私一人だけのために歌ってくれたり、演奏してくれているわけではないからです。それに、スポーツ選手もアーティストも感動は結果に対して付随してくるものなので、最初から感動をさせて感謝してもらおうという気持ちで、取り組んでいるわけでもないと感じます。ただ、感謝するという行為は大切なことなので、どちらかと言えば「感動をありがとう」よりも、「素晴らしいものを見せていただき感謝しています」のほうが、正しい表現だと思うのですが。まだ一般人が「感動をありがとう」と言ってしまうことは良いにしても、オリンピックを伝える大手既成メディアや、商品の広告、そして政治家までが「感動をありがとう」と言ってしまうのは、まるで感動に飢えていたり、感動の押し売りと安売りのようであり、最高のパフォーマンスを見せたスポーツ選手に対して、言葉で伝える仕事をする者が「感動をありがとう」では、あまりにも心がこもっていないように感じるので、何か違和感を抱いてしまいます。「感動をありがとう」と聞くたび、こう思ってしまう私は捻くれているのでしょうか。