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2006年12月10日(日) 今年最後(?)の「お前が言うな」賞ノミネート作品

12月9日付:朝日新聞社説 開戦65年 狂気が国を滅ぼした

クリント・イーストウッド監督の映画「父親たちの星条旗」と
「硫黄島からの手紙」が話題を呼んでいる。

 1945年2月から3月にかけて、日米合わせて約5万人が
死傷した硫黄島の激戦を、双方の視点から描いた2部作だ。

 登場するのは、英雄に祭り上げられて苦悩する米海兵隊員や、
家族を案じながら死んでいった日本兵士ら。敵も味方もない。
戦争に翻弄(ほんろう)され、命を落とす生身の人間たちを
描いたところが共感を呼ぶ理由だろう。

 日本軍がハワイの真珠湾を奇襲し、太平洋戦争が始まって65年が過ぎた。
あの戦争の犠牲になった無数の人々を改めてしのびたい。

 それにしても、日本はなぜあのような暴挙に走ったのか。

 31年の満州事変から40年の日独伊三国同盟、
さらに南部仏印への進駐から対日石油禁輸へ。後世から振り返ると、
坂道をころげ落ちるように破局への道を歩んでいく。
弾みがついた歴史の流れの恐ろしさだろう。

 当時のルーズベルト政権のスタッフだった経済学者のガルブレイス氏は、
真珠湾攻撃の知らせを聞いた時、「狂気の沙汰(さた)と思った」と回想している。

 何よりも圧倒的な国力の差である。
当時の米国のGNP(国民総生産)は日本の10倍以上、
鉄鋼生産量は20倍以上もあったといわれる。
しかも、日本は重要物資のほとんどを米国などからの輸入に頼っていた。

 冷静に考えれば、勝ち目がないことぐらい分かりそうなものだ。
だが、体を張って「待った」をかける政治家も軍首脳もいなかった。

 「欧州でドイツが勝てば、日本も有利な講和に持ち込めるだろう」。
最後はそんな期待もあって開戦に踏み切った。無責任というほかはない。

 指導者だけではない。昭和史に詳しい作家の半藤一利さんは、
真珠湾の日に人々が何を語り、書いたかを調べたことがある。
「マスコミは戦争をあおり、国民も『やった、やった』と熱狂した」

 日本中を「狂気」が覆っていたといえよう。

 硫黄島の守備隊は1カ月余りにわたる戦いの末、全滅する。
それから沖縄戦、原爆投下と続き、敗戦に至る。
あれだけの犠牲があったにもかかわらず、無謀な戦いを止められなかった
無力を思うと、「あんなことは絶対に二度と起きない」と
言い切ることはできまい。

 どうすれば、踏みとどまれるのか。
狂気に包まれる前に、現実に目を見開くことはできるのか。
65年後の今、改めて自問してみるのは意味のあることだ。

 ともすれば私たちの周囲から戦争の記憶は薄れがちである。
だが、あの狂気やその種はこの世界からなくなったわけではない。
過ちは今もどこかで繰り返され、戦争の悲惨は続く。
そのことを忘れてはならない。


-----------------------------(引用終了)----------------------------

言わんとしている事は理解できなくもないのですが、

このような第三者的な論調は、太平洋戦争を見つめ直すことに

なんら役に立つとは思えませんし、違和感を感じます。


> 冷静に考えれば、勝ち目がないことぐらい分かりそうなものだ。
>だが、体を張って「待った」をかける政治家も軍首脳もいなかった。

>「マスコミは戦争をあおり、国民も『やった、やった』と熱狂した」
>日本中を「狂気」が覆っていたといえよう。


軍部では山本五十六氏が米英相手の開戦に反対だったし、

政治家では、吉田茂氏や、近衛文麿氏、

あの東条英機氏も欧米列強相手の開戦には慎重な姿勢を貫いていましたし、

政治家ではありませんが私が敬愛する白洲次郎氏など、

体を張って米英相手の開戦に反対する政治家や軍首脳は多数存在しました。

ただ、売り上げの為に冷静さを失い暴走する朝日新聞を初めとしたメディアが、

戦争回避派を「弱腰」「非国民」と罵倒・糾弾して、

それに熱狂的に煽られ冷静さを失った国民がその声に追従して、

反対派の声を掻き消し、メディアはその世論にさらに追随するという

メディアと国民がお互いに共鳴して、

本来なら不要であった相乗効果を生み出していた時代であったと、

当時の資料などを検証するにつれそう感じます。

その時代の空気を「狂気」という抽象的な表現で批評していますが、

狂気を作り出した主犯が軍部であるとするならば、

メディアの責任も大いにあると言え、メディアは共犯ではないでしょうか。

しかし敗戦後は、自らが自由な言論を抑圧する風潮に加担しておきながらも、

「戦時中は軍に強制された逆らえなかったのだ」と主張し、

自分自身が言論弾圧を受けていたのだ、と責任転換・責任放棄する態度は、

主犯に追随した共犯が、逮捕を免れた瞬間、主犯にすべての罪をなすりつけ、

自分は被害者面をするという厚顔無恥な犯罪者と似たようなものではないでしょうか。

また、朝日が掲げる当時の政府に対しての戦争責任を追求する内容の

社説を読んで常々感じていることですが、

この論調は結局、強いものや勝ったものが「正義」と言っている

まさに戦勝国の論理・強者の論理に等しいのではないかと思います。

そして、自問しようと言っているわりに、

せめて社説の中に一行でも自分たちに対しても

戒めの言葉を書いているのであれば説得力もあるでしょうが、

狂気という抽象的な表現で、その時代の日本を一纏めにして、

その文脈を持たず自己批判さえできず、

責任を丸投げして言い逃れしている、

今も昔も、朝日新聞はイデオロギーが変わっただけで、

特定の主張を繰り返し、一つの視点からしか語れない、

自己検証できていないという意味において、

本質は全く変わっていないのではないでしょうか。



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