【マスコミ】 「"天皇陛下、あっちは立つの?""ヒサヒトいらない"…週刊金曜日主催、下劣な"市民集会"」 週刊新潮報じる★14 ・11月19日。日比谷公会堂で開かれた『週刊金曜日』主催の「ちょっと待った!教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民集会」。2000人近い観客の前で、悠仁親王は「猿のぬいぐるみ」にされ、 天皇陛下のご病気もギャグにされる芝居が演じられた…。 本田勝一編集委員の挨拶から始まった集会。司会は、同誌発行人でもある佐高信氏だ。 「今日はとても高貴な方の奥さんに来ていただきました」 佐高氏がそう言うと、しずしずと美智子皇后を真似たコメディアンが出てきた。顔面だけおしろいを塗って女装した男である。会場は拍手喝采だ。 「多くの国民が集まっている中、なんの集会だかわかりませんが」と切り出すと、大きな笑いが起こった。 「先日、主人と一緒に王監督にお会いしたんです。王さんは“日の丸のおかげで優勝できました”と、仰っていましたが、この人が日の丸のおかげなんて言うのは、おかしいんじゃありませんか?」 そう言って、笑いをとった。園遊会で、王監督が天皇陛下に話した内容を皮肉ったのだ。 続けて、「去年は皇室典範を変えるとか変えないとかでずいぶん騒がしかった。でも、次男のとこに男の子が生まれたら、ピタッとおさまっちゃいましたね」と悠仁親王のことを話題に。 そして、「今日はその子を連れてきてるの。ちょっと連れてきて」と言うと、スタッフがケープに包まれた赤ちゃんの人形のようなものを“皇后”に手渡した。猿のぬいぐるみである。 “皇后”は「ヒサヒト!ヒサヒト!」と声をかけながら、その猿の顔を客席に向けたり腕を動かしたりする。 場内は大爆笑。やがて「ヒサヒト!本家に男の子が生まれたら、お前なんか、イーラナイ!」と叫んで、ポーンと放り投げた。だが、場内は静まり返った。若者の中には笑いを漏らす者もいたものの、さすがにここまで来ると観客の大半が凍りついてしまったのである。 ここで登場したのがジャーナリストの矢崎泰久氏と、作家であり、タレントでもある中山千夏さんだ。 「これはこれは、さる高貴なお方の奥さんではないですか」と矢崎氏。「天皇なんてもう要らないんじゃないですか。天皇なんてのは民間の邪魔になるだけでしょ?」と聞く二人に“皇后”は、「あら、アタシは民間から上がったのよ」と、応える。中山女史が「天皇になれるのが直系男子だけという方がおかしいでしょ?男でも女でも長子がなれるようにすべき。それでハタチになったら、天皇になりたければなり、なりたくなければ一般人になって終わり。そうしていけば、天皇家というウチはなくなります」と持論を展開。 すると、矢崎氏が「ご主人が来てませんね?」と“皇后”に尋ねる。「どこか悪いの?」と矢崎氏。 「ハイ。マエタテセン?じゃなかった、そうそう、前立腺を悪くしまして。あまり芳しくないのですよ」 そんなやりとりが続いた後、突然、矢崎氏が「それであっちの方は立つんですか?」と聞く。 “皇后”は「出会いのテニスコートの時は元気でございました」と、応える。 場内はシーンと静まりかえった。さすがに観客がシラけてしまった。 「何て下劣な、と思わず拳を握りしめてしまいました」と、参加した観客の一人がいう。 「憲法や教基法の集会だと思ってたのに、結局この人たちがやりたかったのは、安倍晋三のこきおろしと、皇室を中傷することだけだったんですね」 今度は、タレントの永六輔氏が舞台に登場。永氏は「ここ(日比谷公会堂)は、社会党の浅沼稲次郎さんが刺殺されたところなんです」「君が代は、実は歌いにくい曲なんですよ」などと語り、アメリカの「星条旗よ永遠なれ」のメロディーで『君が代』を歌うというパフォーマンスを見せるのである。 ─それは、この緊急市民集会とやらの“正体”がよくわかるものだった。 今回“皇后”を演じたのは、劇団に所属する石倉直樹氏(49)である。永六輔氏に可愛がってもらって各地のイベントで活躍している芸人だ。 「僕たち(注=メンバーは3人)は、テレビではできないタブーに切り込む笑いをやってるんです。 持ちネタは色々。杉村太蔵や橋本龍太郎、創価学会だってやってます」と石倉氏。 「お笑い芸人として活動を始めた頃、昭和天皇がご病気になって、歌舞音曲慎め、と仕事が次々キャンセルされたことがありましてね。16年経った今も、お世継ぎがどうこうとやってる。何とも言えない怖さを感じます。美智子様のことは好きなんで、キレイに演じたいんですけど」 悠仁親王を猿のぬいぐるみにしたことには、「普段は、名前を言わないんですが、あの集会ではついフルネームで言ってしまいました。(ご病気については)矢崎さんと中山さんに下ネタをふられ、乗せられてしまいました。京都では、僕が皇后で永さんが侍従の役で、色々やりましたよ。 これを(市民)運動としてやってるつもりはないし、面白いと思うことをやっているつもりです」 お笑い芸人としてタブーに挑戦する─石倉氏は腹を据えて演じているらしい。 一方、佐高氏の反応は全く違う。「あくまで“さる高貴なお方の奥様”としか言ってないんですから。 皇室の中傷などではありません。それは受け取る側の見方ですから。そんなこと言うなら核議論と同じで、こっちも封殺するな、と言いたいですね」 永六輔氏は「僕はあの日、車が渋滞して遅れ到着したんです。だから、そのコント自体、見てもいないし、全然わからないですよ。『週刊金曜日』に聞いてくださいな」と、知らぬ存ぜぬだ。 矢崎氏と中山女史に至っては、取材申し込みに対して梨の礫だ。 永氏は、かつて、童謡『七つの子』など野口雨情の名作を根拠なく「強制連行された朝鮮人の歌」と言ってのけ、関係者を激怒させた“前科”がある。 その関係者の一人、作曲家のすぎやまこういち氏は、今回のことをこう語る。 「まだ(永氏らは)そんなことをやっているのですか。呆れますね。下品です。自分に置き換えて考えてみればいい。孫が猿のぬいぐるみにされて放り投げられたり、病気のことを揶揄されたり。人権意識も何もない。彼らは、いつもは人権、人権というくせに、実はそれが彼らの正体なんですよ。」 『週刊金曜日』北村編集長は、編集後記で集会の模様をこう記している。 <不思議なほどに穏やかな空気が会場には流れ途切れなかった。永田町の住人に対する、満々たる怒りを深く共有しながら、しかし、そこに絶望はなかった> ※ソース:週刊新潮、12月7日号P.30-32(エマニエル坊や記者がテキスト化したものを一部略) ほかニュースソース:mumurブルログ週間金曜日主催のキチガイ集会 「みんなー!!今日は千代田区1丁目1番地にお住まいのスペシャルゲストを呼んでるぜ!!」 -----------------------------(引用終了)----------------------------佐高氏は「核議論と同じで、こっちも封殺するな」と正当性を主張しています。確かに我が国は言論の自由・表現の自由が認められており、言論や表現の自由は守られるべきものであります。皇室に反対する意見が出てくるもの当然だし、冷静にかつ真面目に皇室の存在意義に疑問を提起したり、議論なりすることも問題はないと言えましょう。ただ、この集会の内容では、言論の自由とか問題提起とか封殺とかという主義主張以前に、非常識かつ見っとも無いだけの内容でしかないと感じます。やはり、自由といえど人の道から外れる事や、踏み越えてはいけない最低限のラインは必要ではないでしょうか。この手の人たちが嫌っているであろう街宣右翼のうるさい演説や匿名掲示板の一部の内容のない書き込みと同じように、顔が見えているか見えていないのかの違いだけで、それを見聞きしている人々から共感を得られたり、考えさせたりするきっかけをつける思考の種を植え付けない空虚な表現には変わりありません。現在の日本の左翼は自分たちの姿を客観視できない人が多く、左派系ブログでも、この集会のパフォーマンスのように、皇室に限らず、反○○でエントリを書けば、すぎやまこういち氏が記事で述べているように、批判や批評というよりも下品下劣な表現に終始してしまう子供の悪口じみた内容が多いです。これでは賛同が得られるどころか、笑いのネタとして、ネットで暇人の恰好の餌食となり、もて遊ばれるのも仕方ありません。(俗に言う「ブログ炎上」という状態です。)また、良識ある左翼なら愚劣な表現に対して、共感を得られず賛同者を減らし逆効果になるだけだと批判するのですが、左翼から身内を糾弾する声が上がるのを見たことがありません。ブログ炎上は、もて遊んでいるだけの実りのないコメントばかりですが、下品下劣ぶりを丁寧に批判する人まで誹謗中傷に一括りして、常識的な批判さえも議論の場から排除して閉鎖的になり、仲間内で群れて馴れ合うから、外部に対する意識がますます希薄化し、その言動は先鋭化して、それによりさらに賛同者が減ることによって、言動は内部完結してしまい徐々に先細りしていき衰退していく。日本に良識があり客観的に自分が見れる左翼がほとんど居ないことが、左派の衰退と左派が言う自分達と反対の意見=右傾化と一括りにする現状になってしまっているのではないでしょうか。↓エンピツ投票ボタンです。 今日の日記は良かった思った方は押してくださると嬉しいです。