鎮魂の夏と総裁選と 週のはじめに考える(7月30日付:中日新聞社説)長梅雨がやっと明けるかと思えば目前に鎮魂の八月。「靖国」がまた騒々しい。逆に政権党の総裁選は低調ムードで、はや消化試合の趣。なんて、アンバランスな。 皇居に近い千鳥ケ淵の戦没者墓苑を訪ねました。「拡充」話がひょっとして本物になるか、とも思って。 人影まばらな六角堂。献花台で白菊を一本、手向けてきました。 納められているのは遺族の元に戻れない戦没者三十五万人余の遺骨。太平洋戦争で海外にあって命を落とした二百四十万人の一部です。 お堀に沿う緑陰を少し歩けば靖国神社。並行して走る一方通行の狭い車道はタクシーの絶好の“休憩所”になっていました。 静寂こそがふさわしい 毎年八月十五日、武道館での追悼式に先立って歴代首相はたいてい参っています。小泉さんも。なにかと大騒ぎになる靖国とは違って、静かにつつましやかに慰霊の儀式が営まれます。もちろん、無宗教で。 墓苑拡充話は、三十代の女性記者が七月十八日付本紙政治面に書いていますから重複は避けます。 この話、自民党の中から出てきました。意図はもう一つはっきりしませんが、にっちもさっちもいかなくなった靖国問題と、たぶん無関係ではないのがミソ。 墓苑拡充で外国要人も献花できる国立の追悼施設にと期待する人もいれば、靖国がないがしろにされると反発する人もいるようで、結論は簡単に出そうにない。それが残念ではありますが、靖国問題解決の一案であるなら、自民党の「良心」の表れと、いい方に取っておきましょう。 私たちはこう考えてきました。鎮魂・慰霊には、やはり静寂な場こそふさわしい、と。今も、です。 靖国神社だって、本来は静寂を旨としたはずでしょうに、自ら騒がしい場にしてしまった。昭和天皇の発言メモにあるように、一宮司による「A級戦犯合祀(ごうし)」によってです。 「争点にしない」の欺瞞 ここ数年でいえば、騒ぎにしたのは小泉さん。「信教の自由」とか、「心の問題だ」とか「個人の自由」とか、弁解もいよいよ、聞くに堪えない荒っぽさで、あきれます。 国の最高責任者がこれでは本当に困るのですが、そんな小泉スタイルを面白がったり、支持してしまう、世間の空気があったのを、認めないわけにもいきません。 人気取りで妙なナショナリズムをあおった方も悪いが、その術中にはまって拍手した方も悪い。といっても私たち、そこにストップをかけるには、とうとう至らなかった。 そして、日本と中国や韓国とのどうしようもない関係悪化。アジアだけでなく欧米にも右傾ニッポンへの警戒感が芽生えかねない状況に。ジャーナリズムとしての非力を、厳しく自省している次第です。 ようやく世論調査で「首相の靖国参拝避けるべし」が間違いなく多数派となっても、小泉さんはその言動からすると、参拝を強行する気のようです。「十五日」は一度も果たしていない“公約”でしたし。 だいたい取り巻きに、諫(いさ)められる人がいないのです。情けないことに皆さん、言っても聞かないと、さじを投げてしまっている。以前はいましたよね、中曽根康弘首相のときの官房長官、後藤田正晴さんとか。 現官房長官の安倍晋三さんは靖国問題を何と言っているか。「一国の指導者がその国のために殉じた人に尊崇の念を表するのは、どこの国でもすることだ」。一般論でのすり替えです。参拝するか、と問われて、するしないを言うつもりはないと、答えにもならない答え。 ポスト小泉の自民党総裁選へ最強候補と見られている人が、靖国を争点から外そうとしているのです。一方でホットなテーマを、こっちでは触れずにすり抜ける。これを欺瞞(ぎまん)と言わずして、何と言うべきでしょうか。 さて、あと五十日ほどで結論の出る総裁選の話。外交姿勢で「アンチ小泉」の呼び声高く、世論調査でもそこそこ期待のあった福田康夫さんが土俵にも上がらないものだから、始まる前からしらけ気味です。 福田さんのおっしゃるには、出れば国論が二分するとか。官房長官当時の懇談会がまとめた無宗教の国立追悼施設造営を「是」とした原則的立場は、一体どこへ行ったのやら。 「靖国参拝を控える」と、ようやく立候補表明した谷垣禎一さんが言いました。でも、控えた後はどうする。控えておけば靖国問題は自然消滅と、お考えか。語尾不明。 吉田茂さんの時代の人で最近再評価の著しい白洲次郎さんの言葉を借りれば、大事なのは「プリンシプル(原則)」。政権を目指す人たちにぜひ、かみしめてほしいことです。 核心避けぬ議論をぜひ 原則を欠く政策論争など、聞くに値しません。近隣外交も日米同盟も財政再建も社会保障でも。まずは基本の考え方を明らかに、そして懸案処理の方策と段取りを示すこと。 そうでないと、次の首相が日本をどこへ導くか、国民は判断するすべがありません。戦没者も安らかに眠っておれなくなってしまいます。-----------------------------(引用終了)----------------------------つっ込みどころが多すぎる強烈な社説なので、どこからつっ込んで(書いて)いいのやら。>静かにつつましやかに慰霊の儀式が営まれます。もちろん、無宗教で。慰霊の儀式と無宗教は相反していて論理破綻しているのでは?> 私たちはこう考えてきました。鎮魂・慰霊には、>やはり静寂な場こそふさわしい、と。今も、です。いつも一番大騒ぎしてるのはマスコミでしょうが。しかも、さんざん中韓を煽って中韓の干渉を呼び込んでおいて、今更、静寂な場こそふさわしいなどとよく言えたものですね。まぁ、そんなやつらに釣られて、あーだこーだ言ってる私たちも悪いんですけどね。> ここ数年でいえば、騒ぎにしたのは小泉さん。>「信教の自由」とか、「心の問題だ」とか「個人の自由」とか、>弁解もいよいよ、聞くに堪えない荒っぽさで、あきれます。どこがどう荒っぽいのでしょうか?普通に考えたら信教の自由、心の問題、個人の自由じゃないの。 これらを認めないのであれば、日本国憲法の庇護を自ら放棄した事と同じですよ。> 現官房長官の安倍晋三さんは靖国問題を何と言っているか。>「一国の指導者がその国のために殉じた人に尊崇の念を表するのは、>どこの国でもすることだ」。一般論でのすり替えです。当然のことを言ったまでで、どこがどう一般論のすり替えなの?> 吉田茂さんの時代の人で最近再評価の著しい白洲次郎さんの言葉を借りれば、>大事なのは「プリンシプル(原則)」。政権を目指す人たちにぜひ、>かみしめてほしいことです。「プリンシプル(原則)」は、分かりやすく言えば「筋を通す」ということで、まさに小泉首相の靖国参拝は、周りの意見にほとんど左右されず、プリンシプルを実践していると思いますけどね。> 人気取りで妙なナショナリズムをあおった方も悪いが、>その術中にはまって拍手した方も悪い。>といっても私たち、そこにストップをかけるには、とうとう至らなかった。>ジャーナリズムとしての非力を、厳しく自省している次第です。中日新聞の言うジャーナリズムというのは、 世論を自分達の都合の良いように操作することなの? お前らの仕事は煽動屋か?ああそうか、ほんの10年前なら世論をマスコミの思うがままに誘導して、躍らされた世論と一緒になって思想スタンスに反する政治家を糾弾出来たのに、今はそれが出来なくなってきたと、昔を懐かしがっているわけね。それに日本が右傾化しているのならば、日本をいわゆる「右傾化」させた張本人は、断続的に日本に不当な要求や筋の通らない主張を続ける中・韓(北朝鮮)とその三国のナショナリズムを何の警戒もせず受け入れ宣伝したり、一緒になって日本を攻めて、三国を果てしなく増長させてしまった日本のマスコミでもあるのではないではないでしょうか。日本でも、外国人がドイツのネオナチのような国粋主義グループやらに集団暴行されるような事件が頻発しているとかならまだしも、今の日本は、単にメディアのなかでもネットの発達によって、一般人が、鬱陶しいことを鬱陶しい、おかしいことをおかしいと素直な意見を主張し始めただけ。一般人にとっては右とか左とかどうでもいいことなんです。時代の流れに着いていけない頭の固い人には理解できないだろうけど。また、こういうことばかり言い続けて、地に足をつけないでいる朝日や中日新聞などの一部マスコミは、いわゆる右傾化を勢いづけているだけ。 そのことに早く気づかないと、言論よりも暴力に走るネオナチみたいなものが日本にも生まれてしまいますよ。 それにしても、富田メモが出てからというもの、これを千載一隅のチャンスとばかりにマスコミが、総理大臣は靖国神社参拝するなキャンペーンをやっていますが、前にも書きましたが、これはある意味、皇室の権威をカサにこれに反するものは「非国民」と言っているようなもので、この思考回路は戦時中の「国の方針に従わないものは非国民」というのと同じですよ。しかも皇室を利用しているだけに更に性質が悪い。日本人の右傾化と言ってるけど、中日新聞の方こそ戦前回帰してるんじゃないの。オマケ:『週刊文春』8月3日号・24頁より〜▼天皇の中立性を侵した日経こそ問題◇養老孟司…解剖学者小泉首相は靖国に関して「心の問題」といいますが、その通りで、本人の問題だと思います。行きたいのであれば行けばいい。そのことでメディアに叩かれることもない。それが「信教の自由」だと思います。首相が参拝すると様々な問題がある、といわれますが、問題が「ある」のではなくて、メディアが問題を「作って」いるんですよ。「経済に影響する」というのもメディアですが、本当に影響があるのか。今回も、日経新聞がスクープによって新たな「問題」を作り出した。「天皇の中立性」というものを日経の記者はどう考えているのか。昭和天皇ご自身は、自らの政治的中立性を、強く守っておられたはずです。今の天皇陛下も、色々とおっしゃりたいことはあるでしょうが我慢している。「天皇の中立性」とは、天皇陛下が我慢しさえすれば守られる、というものではなく、 皆がそういう意識を持つことで守られるものです。「これは特ダネなんだから、天皇の中立性なんて潰してもいい」と考えたのでしょうか。 メディアは今一度自らの倫理基準を問い直すべきです。「天皇の政治的中立性なんて、ウチの会社は認めませんよ」というのなら、現在の天皇制のあり方自体を考えなくてはいけなくなる。天皇陛下のプライベートな発言を、今度は別の社が「こういうことも言っている」と使うかもしれない。そういう天皇制の根幹に関わることを、勝手に一社が、スクープのためにやらないでくれ、といいたい。新聞は「談合を許すな」と書きますが、自分たちにも職業倫理がないなら、そういうことを書く資格はない。私は、今回の騒動の中で本当に国益を考えて行動したのは、福田康夫さんと小泉首相だと思っています。福田さんは、日経の記事が出た翌日には不出馬を表明した。「国論を二分することになりかねない」というのは明らかに中国を意識した発言です。 富田メモで、参拝反対派に追い風が吹き、世論が安倍、福田でまっぷたつに割れる、ということを恐れたのでしょう。小泉さんが「心の問題」といって、大事(おおごと)にしないのも、極めて正しい対応だと思いますよ。今、戦争で亡くなった方のためにお参りしようと思ったら、靖国神社以外にはありません。そして、戦犯もある意味では戦争の犠牲者です。戦争とはそういう犠牲者を生む行為だということを、あそこに参拝することで示してもいる。靖国をなくしてしまったら、日本人の記憶から戦争自体が消えちゃいますよ。-----------------------------(引用終了)----------------------------論理破綻もない説得力のある正論ですね。中日新聞の社説を書いた人は、プロの物書きなのだから、愚痴を並べるだけより、これぐらいのことを書けないものでしょうか。↑エンピツ投票ボタンです。読んだら押してくださると嬉しいです。エンピツ時事/社会ランキング エンピツ総合投票ランキングMyエンピツ追加