小学校英語必修 都知事「ナンセンス」発言に文科相反論 小坂文部科学相は7日午前の記者会見で、東京都の石原慎太郎知事が国語力の低下を理由に、小学校段階での英語必修化を「全くナンセンスだ」とこき下ろしたことについて、「日本語をしっかり勉強することが基本だが、柔軟な頭脳を持っている児童が英語に親しみ、英語教育に取り組むのは決して否定すべきことでない」と反論、英語教育の必要性を4分間近く訴えた。 小坂文科相は「すでに9割の小学校が英語活動に取り組んでおり、機会の均等を考えるとどの学校でも英語活動に親しめる環境作りは必要だ。インターネットのコンテンツは9割が英語だ」と述べた。(朝日新聞 2006年04月07日10時47分)「小学生は国語力を磨け」、石原都知事が文科省を批判 小学生は、まずは十分な国語力を身につけよ。東京都の石原慎太郎知事は7日の記者会見で、「自分の国の言葉を完全にマスターしない人間が、外国の知識の何を吸収できるのか」などと話し、小学校段階での英語必修化の動きを批判した。 石原知事は「若い人の国語力は低下している。人間の感性や情念を培うのは国語力だ」とも述べた。小学生時代、ドイツ人宣教師に英語を習っていたという自身の逸話を披露。「おやじに言われて習いに行ったが、何の効果もなかったね」と明かした。 6日の首都大学東京の入学式でも、知事は新入生への祝辞の中で「日本で一番バカな役所の文部(科学)省が小学生から英語を教えるとか言っている。全くナンセンスだ」などと批判。 これに対し、小坂文科相は7日午前の閣議後記者会見で、「日本語をしっかり勉強することが基本だが、柔軟な児童が英語に親しみ、英語教育に取り組むのは決して否定すべきことでない」と反論していた。(朝日新聞 2006年04月07日21時12分)石原知事“持論”…英語より国語教育ちゃんとやれ! 石原慎太郎東京都知事は7日の定例会見で、中教審の部会が提言した小学校での英語教育必修化について「国語の教育をちゃんとやった方がいい。国語を完全にマスターしない人間が日本語を通じて外国の知識を吸収できますか」と述べた。 石原知事は6日の首都大学東京の入学式の祝辞で英語必修は「ナンセンス」と発言。これを受け小坂憲次文部科学相は7日の閣議後の記者会見で「一歩進めるのは否定すべきことではない」と述べたが、知事は「(文科相は)役人のメンツをカバーしたんでしょう。私も小学校の時に英語を習いにいっていたが、なんの効果もなかった。国語を通じなかったら人間の情操、情念、感性は培われない」と持論を述べた。(ZAKZAK 2006/04/08)----------------------------(引用終了)------------------------------まず、最初に断って断っておきますが、英語を学ぶこと自体には反対ではありません。 100万部を越えるベストセラーとなった『国家の品格』を執筆された藤原正彦氏の『祖国とは国語』(新潮文庫)にも書かれていましたが、『読む・書く・話す・聞く』この4つは、人間が生きていくうえで重要なことです。この4つが成り立ちませんと、他者とのコミニュケーションは成り立たず、どのようなことであれ学ぶことも出来ません。日本語でも英語でも良いのですが、やはり基礎となる言語を最低一つはまともに出来なければ、文字通りお話になりません。どの人種であれ思考は母国語で行われており、日本の中では、基礎となる言語は日本語なのです。日本語で思いつかないことは英語でも思いつきませんし、その反対に英語で思いつかないことは日本語でも思いつきません。こんな乏しい表現で毎日のように日記を書いている私が言うのもなんですが、今の日本語は乱れているというよりも、表現力が乏しくなっているように感じます。日本語の表現力の乏しさというのは、最近の若いアーティストの歌を聞いていてもよくわかりますし、電車などで小中学生の会話を何気なく聞いてると「〜〜〜で 〜〜〜で」「〜〜して〜〜して」というような感じで、ただ、単語を適当に繋げてるだけで、まともな会話になっていません。国語が出来ず、母国語での表現力に乏しくなって、読み書きの能力が衰え、意見が言えないという母国語である日本語すらも満足に使いこなせない子供が多く存在しているというのに、もっとも重要である表現力、情緒、論理力を育てる国語の基礎が固まらないうちから、学校での、国語や他科目の時間を削減してまで、英語の時間に切り替えるのでは子供にとって弊害になりませんかね?他にも疑問点はあります。中1から英語勉強をはじめて多くの国民が習得できず今に至っています。日本の学校教育の場での英語教育の方法は、もっと抜本的な改革が必要とするのに、この理由をろくに調査も改善もせず、英語教育を前倒して小学生から始めたからと言って、習得できるとは思えず、過去の反省を試みない内から英語英語と先走るのは如何な物でしょうか。小さい頃から英語を学ばせたいのであれば、町の英語教室に通えばいいのではないかなと思うわけです。それに、英語が話せたからといって=国際人でもありません。もちろん外国語を話せることも国際人の一部ではありますが、自国の文化や歴史を広く浅く知っており、尚且つ相手国の文化や歴史も広く浅く知ったり、最低限のマナーやモラルも身に付け、様々な素養があってこそ国際人なのだと私は思っています。私も小学生から英語を習っていましたが、途中で挫折しました。英語とドイツ語に堪能で、翻訳もしている姉に比べて、なぜ身に付かなかったのかを考えてみると、「自分にとって必要だと感じなかった。」という理由があったと思います。本当は、物覚えの悪いアホだったからという理由が一番大きかったわけですが(笑)姉は、アメリカの映画やドイツサッカー、グリム童話に興味があったことから、子供の頃から両方の言語を学んでいました。今は英語、ドイツ語共にベラベラで、翻訳の仕事をしています。やはり、その国に興味があったり、自分にとって、その国の言語が必要だと認識する。この二つのモチベーションがあってこそ身に付くものだと思います。現に、海外では日本のマンガ・アニメブームにより、日本語を学ぶ外国人が急増しています。これも、やはり異国の文化を知りたいという気持ちからです。他にも、数年前まで『電波少年』という番組がありましたが、異国の地で無理やりヒッチハイクをさせられた芸人は、いつの間にかその国の言語を身に付けていたように使わざるを得ない状況に追い込まれれば、ベラベラとは言わないまでもコミニュケーションは取れるようになるのです。ようは「興味と必要」この二つのモチベーションがあり、やる気を持続させられれば、何歳からでも堪能とは言わないまでもある程度のコミュニケーションが出来る外国語は身に付くと思います。↑エンピツ投票ボタンです。読んだら押してくださると嬉しいです。エンピツ時事/社会ランキング エンピツ総合投票ランキングMyエンピツ追加